意識を買う

毎月、月の後半から頭にかけて気分がふさぎ込むような気がします。特に何かがなくても、自分が何を考えているのかさえわからなくなるほど膨大な思考に埋もれてしまいそうになる。そして新月を迎える頃になると嘘のようにスッキリするというサイクルの繰り返し。

私的には意識が戻ったという感覚なのですが、今月は昨日がそうでした。今日、日付が変わってすぐの1時過ぎに魚座新月を迎え、そして昨日は天王星が牡牛座に入りました。天王星は昨年5月に一度牡牛座に入ったものの一度出ていったので、これまではお試し期間といった感じだったのが、本格的に「牡牛座天王星時代」に突入するそうです。

私は前回、本物と偽物という日記を書いている。所有の概念、特にお金や物質に対しての考え方が大きく変化すると言われ、既に兆候が見られる人も多いのではないかとの事でしたが、確かに私は今年に入って明らかに変化している。

以前の私は物を買う事=何かを手に入れる事に執着しており、手に入れた後の事はあまり考えていなかったような気がする。そして買っただけで満足してしまうことが多いくせに、手に入らないとなればその現実に堪らなく苛立っていたのでした。私は所有する満足感を得たかっただけだ。

少し前、大量の靴を見ながらふと”私は何を買っているのか”と考え込んでしまった。履いている靴もあるけれど、そのほとんどがオフシーズンのためにまだ履けていない。ということは今なくても困らない物で、お店に置かれているのと変わらないのではないかと。所有するとはどういうことなのか、どういう状態を指すのか。

現実的に手に入ったと感じる時は買った時や、「あなたにあげる」と貰った時だと思う。その瞬間になんとなく自分の物だと意識が切り替わるだけで、物そのものはどこにあっても一緒なわけで。例えば高価な絵を買って美術館に置いているなら保持さえしてないというのに、それは確かに自分の物なんだよね。

だったら何だって話ですが自分でもよくわかりません。ただ、「あれが欲しい」と切望する事は少なくなりました。この世の全ての物は自分の物じゃないとも言えるし、自分の物とも言えるんじゃないか。だとすれば必要なら入ってくるだろうと考えるようになったからです。私はこれまで必死に意識を買っていたんだなぁ。

 

話しは変わりますが、世の中の所有の概念が変わると困る人が一定数いますね。それは物質によって自己顕示欲を満たしてきた人達だ。人間は欲しいけれど手に入らない物を持っている人を賞賛し、憧れを抱ぎがちだ。しかし当然ながらその対象が変われば人の気持ちも変わる。

私には去年の5月と比べて既に人々の概念は変わり始めているように見えます。今は上手く言えませんが、正しい方向へ向かっているように感じている。人々の概念が変わったからと言って広い意味での世界が変わるかどうかはわかりませんが、生き辛さを感じる人達が逆転するのではないかと考えています。

それはそれで危険なことでもあるので、身を守るためのスキルはとても大切だ。私は牡牛座天王星のプレ移動の期間に、かなり身に付いたのではないかと思っている。