ときめかない

若干お久しぶりな気がします。前回の日記を書いて以来パソコンを開いてもいなかった。

1月に「服を大量に買い替えた」と書いたのですが、あれから靴も大量に買いました。私は今までオンオフ兼用に使える5千円程度のパンプスを買って履きつぶすようにしてました。高い靴は維持に時間が掛かるという理由からなのですが、なんだか勿体ないと思うようになりまして。

だけど高い靴はやっぱりお手入れをしなければいけないので、そこにも手間を取られて時間が足りなかったのです。しかし相変わらず小さなラッキーは続いていて、定価では買えないような靴を破格の値で手に入れている。(2万円を超える靴なんて今でも買えませんから)

フリマでも型落ちでもなく、一般的な女性の足のサイズと思われる私に合う靴だけが安くなっていたりするので、きっと私の為に売られていたんだろうと思っています。総額にすると3分の1程度の出費で済んでいるので、もはや小さなラッキーとは言えないかも知れない(喜)。

随分前にも書いたような気がしますが、靴を大量に買う時は変化のサインの一つと言われています。仕事用の靴を買ったなら仕事運、オフ用の靴を買ったなら私生活が充実する前触れなのだそう。潜在的に変化に備えているということらしい。私は完全オフ用の靴ばかりを買ったので、それはつまりそういうことなんだろうか。

1月は時間とお金の使い方について、色々と考えた1か月でした。靴だけではなく、たった100円の物でも「本当に必要なのか?」と自問自答するようになりました。これまでは100円の物に悩んだりしなかったし、例え躊躇したとしてもそういう自分が嫌だったと思う。「100円すら使えないのか」と考えてしまうからだ。

他人に対しても100円の物を悩む人を見て、どこか「不自由そうだ」と感じていたかも知れません。だけど今はそれが当たり前だと思うようになった。本当に必要でない物に使うお金は全て死に金だからです。例え穴のあいた靴下でも掃除をして捨てるようになりました。

靴が勿体ないと考え始めたのは1月の頭だったので、1か月もあれば人の思考は変わるんだとしみじみ感じている。先月を思い返してみると、新しい思考や行動に移行しつつも古いそれらは残っているので過渡期は結構つらい。でも絶対に必要な時間だったのだと思っています。

服を買い始めた時は自分を大切にしたいという気持ちだったのだけど、なんというかこれまで手にしていた物との波長がズレ始めた。今までも大量に買い替えた時期はあったのに、こんなにはっきりと自覚したのは初めてです。あのこんまりさんが仰るように”ときめかない”のだ。

私の靴箱にはまだ、以前のワタシが買った靴が数足あります。割と新し目で靴そのものは綺麗なのにときめかない。ときめかないどころか気が滅入ることすらある(履きますけど)。何かが変わっちゃったんだろうな。

話しは元に戻りますが、新しい靴が無性に欲しくなる時は「ひとつ高いステージへ歩んでいくとき」だそうです。そして人生で初めて赤い靴を買いました(ついでに鞄も)。今まで選ばなかった色を選ぶようになり、それが赤だった場合はなにかしら能動的になっている時だそうです。

今日の朝6時過ぎに新月を迎えました。そして旧暦の1月1日にあたるそうです。1月はすべての人にとって大きな転換期になったと書いてありました。私自身もそうであったと思いたい。