「今の自分が好き」

最近、共依存者との関係はとても良好、というより良い意味で懐かれている気がする(驚)何があったのかはわかんないけど、とにかく彼女は変わったのです。私が「困っている」と言うと甲斐甲斐しく動き、お礼を言うと嬉しそうに笑う。髪型を変えてイメチェンしたせいもあるんだろうか。

そうだよ、それでいいんだよ。私が彼女にムカついていた理由には、お金があるのに世の中の不幸を全部背負ったような顔をするところもある。気分が明るくなるためなら美容院代くらい惜しむなよ。持ってる物を使わないで、誰かに自分の気分を上げてもらおうとするな、と常々思っていたので。

ダイヤへの愛が再燃するきっかけとなった某T社(買収されることが決まりました)を調べるうちに、ダイヤには世界3大カッターズブランドなるものがあると知り。アクセサリーブランドというよりダイヤのカッティング技術に優れている、いわばダイヤモンドブランドらしい。

知ってしまったからにはやっぱり欲しくなるじゃないですか。そのうちの2本を手に入れ、ついでにT社のものをもう1本、結局あれから1か月の間に4本のリングを買うことになってしまった。私の小さなジュエリーボックスに高品質なダイヤばかりを収めたいという欲求は簡単に満たされた。

新品を買えば総合計は推定ですが優に100万を超える。それらはほとんどが婚約指輪なので、他人が誰かに贈ったものを使いたくないという人が多いだろうし私だってそう思っていた。けれど私はダイヤが欲しかったのです。価値のある石を破格の値で手に入れたという喜びしかない。

恥ずかしながら私は婚約指輪というものにとても憧れを抱いていた。それに近い質のを貰ったことはあるのだけど、婚約していないのだから婚約指輪とは言えない。そんな過去の自分が今の自分を見ればどう思うだろう。

そもそも新古と言えど中古を買うことに抵抗を感じていたし、婚約もしていないのに婚約指輪めいたものを身に付けるのはどうなのか。更に自分で買うってどうなのよ。なぜ私には誰かに貰った箱をパカッと開ける瞬間がなかったのか、とおそらくネガ思考の深みにハマっていったと想像する。

そんないつ来るか、というか来るか来ないかの瞬間を待つより、ダイヤが欲しいならさっさと手に入れた方が良い。早ければ早いほどその煌めきを長い間見ていられるのだから。永遠の愛を約束する証としてのダイヤを欲するなら待つべき、ダイヤという物質が欲しいなら買うべき。それだけのことです。

私が目を付けていた5本のうち1本は残念ながら買えなかったけど、結果的に買わなくて良かった。あと1本なのですが、そろそろオクが終わりに近付いている。でも満たされちゃったから、もう要らないかなーとも思う。でもでも珍しいものだから買わないと後悔するかなーとか思い悩んでる今。

欲しいと願い続けてやっと手に入れた時の喜び。憧れだったリングを「無くてもいいかな」と思える余裕。私は今の自分の方が好きだよ。