好循環

現在、私のベースは『幸せ』で落ち着いている。特に嬉しいことがなくても基本は『幸せ』なのです。ベースが幸せだと、悪いことが見えにくくなります。『良いことを考えれば、いいことが起きます。悪いことを考えれば、悪いことが起きます。あなたは、一日中考えるとおりになります。』マーフィーさんの仰るとおりだなと思うことがある。

今月上旬、こんなことを書いた。ベースが幸せとは、文字通り無意識が幸せ寄りということである。自分が不幸だと感じている時、嫌なことがあっても”ポジティブに変換”とか無理やり思考を変えたところであまり意味がないと思う。それは顕在意識の話であって、不幸だと感じてしまう常態を変えんことには世界は変わらないのだと。

もちろん無理やり思考を変えるのは全く意味がなくはない。世界を変えるためには潜在意識を書き換えないといけないので、そのためには有効な手段だと考えている。だけど『思考を変える→幸せになる』に直結すると”幸せな現実探し”をしてしまうので、現状がいかに不幸でもまず『潜在意識を変える』という目的を忘れてはいけないなと思うのです。

ベースが幸せだと不幸を感じられない。今、私は特に良いことを考えてるわけではなくて、悪いことを考えていないといった方が近い。一見アンラッキーに見えることが必ずしもアンラッキーとは言い切れないと痛感したからです。いま判断を下さない、と言った方が正しいのか。だってそうでしょ、いずれ好転するのなら落ち込むという行為は無駄なのだから。

 

ウチの会社はますます風通しがよくなっていて、なんでか知らないけど金運が上がった人がチラホラいる。個人的に臨時収入があったり、思いがけなくまとまったお金が入ったり。そういう報告を受けた時、私は一緒に喜んだ後、使い道に悩んでいる人には「お金を使え」と圧力をかけています。

このご時世、少しでも貯めておきたいと思うのが普通なのだろうけど、生活に響かないなら自分のために使ってもいいじゃないか。気分を上げるための出費は浪費とは言わない。とても大きな見返りのある投資だと推しまくっている。当然、貯金で安心するならそうした方がいい。それでいい気分になれるなら、の話ですけども。

自称「お金がない」人もそのうちの一人だった。口にも態度にも出さなかったけれど、私が身に付けるジュエリーに憧れていたのだという。買うべきだと背中を押し、手に入れた今は「お揃いみたいだね」と喜んでいます。『羨ましい』はポジティブな感情でありながら、一歩間違えば自分の身を焼き尽くすので、さっさと手に入れた方がいいんだよ。

 

うまく言えないんですが、全体の運気が底上げされたような気がするのよね。一人ひとりが幸せだとトラブルも格段に少なくなりますから、正のスパイラルが起こるのは当たり前っちゃあ当たり前なんだけどさ。

空気がいいわ。