最後に笑うのは

先日有難いコメントをいただいた。はてなブログは返信ができないのね。見てもらえるかどうかはわかりませんが、この場をお借りしてお礼を申し上げます。みつきさん、心強いお言葉ありがとうございました。そして心中お察しいたします。くれぐれもご自愛ください。

 

そう二極化ですよ。アセンションの扉は8月末にほとんど閉まってしまい、12月下旬には完全に閉じると言われております。あと3か月弱。本当のところはわからないけどそこへ向かってる今、人々の心がどう移り変わっているのかと興味津々で、たまにYahoo!のコメント欄へ行って世間様の様子を窺うことがある。

最近気になったのは「母親業のありかた」についてですかね。大きく胸の開いた服を着ていれば「母親らしい格好をしろ」、離乳食を市販のもので済ませば「子供のために愛情をもって作れ」、未婚で子を産めば「父親のいない子供の気持ちを考えろ」などと世間様がクレームをつける。多様化どこいった?

母親業といえば、少し前話題になったポテサラじじいが頭に浮かぶのですが、驚くことに上記のクレームをつけているのはほとんどが女性。しかも同じように子を持つ母親であった。それらと並行して「育児は大変で~」「ホルモンのバランスが~」と、社会に”産後うつ”への理解を求めるのも納得いかない。

子育てに理解がないのは、男性でも社会でもなく同性の同業者だというのに。彼女たちはナニと戦っているのか。好きな服を着て気分を上げたり、自分のキャパシティと相談して手を抜く行為は悪なのか。世間様の求める母親像と自分を勝手に融合させておいて、社会のせいにするのは善なのか。全く以って意味がわかりません。

 

アセンションとは大きく分けると「常識から抜け出した人」と「常識から抜け出せない人」になるんですかね。以前「他人のせいにする人はアセンションできない」みたいなことを書きましたが、あながち間違ってはいないような気が。

早々に常識を手放した人はもっと自由に生きていけるようになり、反対に常識を手放せない人達は常識を手放した人達の行く道を阻害しようとする。まさに今その状態であるように思います。今はまだ若干の遠慮や配慮があったりで押され気味だけど、いつか完全に分断されるんだろうと。

『100%自分の責任』というスタンスは、未来を変えられるポテンシャルを秘めている。言い訳しないように生きるには、事が起こる前から最善の道を選ぶ必要があります。私達は選択する権利を与えられている。本来、私達は最初からとても自由だったんだよ。

逆に常識を抜け出せなかった人や他人のせいにする思考を持ち続けた人は自由な他人を許せず、変化しすぎた社会のせいにするしか精神を保つ方法はないのだ。上昇し続ける人とは裏腹に、もう二度と戻ることのない以前の社会に思いを馳せながら生きていくのではないだろうか。他人を許せば自分も自由になれるのに。

それをしないってことは自ら不自由を望んだとも言えるので、仕方がないことなのだと思います。抜け出せなかった人達は同じコミュニティの中で互いに牽制と抑圧をしあいながら、誰が押し付けたわけでもない不自由さに藻掻きながら生きていく。

私はそんな世界に未練なんてない。

自分貫いて倒れるなら本望さ。自分捨てちゃって生きてるヤツラよりはマシ。

自分信じてボロボロになってもいいさ。自分ごまかしてヘラヘラ生きるよりはマシ。

あの布袋さんもそう言ってるではないか。


布袋寅泰 / HOTEI - RUSSIAN ROULETTE