「良かったね」

斉藤一人さんの『人は困らない』という言葉と、友達(みたいな女性)が言った『自分を好きになる努力をしないのは甘え』という名言が、ずっと頭から離れない。私の脳はその理由をサーチし続けていた。

人は困らない。一人さんは、子供から暴力を受けている人を例に出して「本当に嫌だったら子供を捨てて出て行きます」と言う。なんだかんだ言いながら殴られ続けていられるなら、まだそれほど嫌じゃない(困っていない)ってことです、とも。

  

早いもので、アセンションまでいよいよあと10日になりました。

ここへきて私の思考の流れは加速度を増している。私は会社の彼女のような人のことを考えるより、彼女のような人と接点を持たないようにすることが、今後の人生で大切なことかなと思っています。そのためには彼らの嗅覚に引っ掛からない人間になるのが最短の方法であり、最大の課題だと考えている。

彼女は最悪な形で裏切られた人と、今も不可解な関係にあるのですが、先日なにかの拍子にその理由を告げてきた。なんのことはない、要するにメリットがあるからである。確かに裏切りは辛いものだったかもしれない。でもその後の関係においては、彼女自身がメリットを選んだのだ。その関係を断ち切るほうが彼女にとっては「最悪」なのである。

常識に囚われて生きる人はあれこれ言い訳をしますけど、本当は全然関係ありません。ただ現実世界において、困ってるのも苦しいのも体感として事実ではあるのでしょうが、行動を起こすより自分を変えるより、今のほうがマシってことです。少なくとも今は「最悪」の状態ではないってことなんで、メリットを与えてもらっている相手を恨むのはおかしいですね。

「そんなことを言ってもできない人もいる」なるほど、そうですか。それなら現実を受け入れるしかないんです。というか、既に受け入れているからそこに留まってられるわけでして。ですから、そういう人が訴える「困った」「苦しい」「辛い」なんてのは、激しく気のせいです。ハラオチその②

それから、他人の人生を先読みするのもよろしくないですね。前回の日記で『やるべきこともやらないで「自分」を貫き通したら、三下り半を突き付けられる』と書きましたが、訂正します。世の中には我儘放題でもなんとなく困らずに生きていける人もいますから、それはそれでいいんです。

自分が困ったからといって、世間では困る人が多いからといって、その人は困らないかもしれない。先のことなんて誰にも決められないのだ。困った時、自然と人は真剣に学ぶ。学ぶ時が来たら「良かったね」だし、一生困らなければ、もちろん「良かったね」なのです。