鶴の一声

まだ続く。

 

この間、共依存のイライラモードを見ても何も思わなかった。良いも悪いもなく、文字通り何の感情も湧かなかったのです。それは彼女が私に何も求めていないとわかったからかも知れない。

それと。詳細は省きますが、私は結構前から会社公認のおサボりタイムを与えられている。きっかけになった時期は忘れたけど、多分2月くらいじゃなかったかな。それにより、私は更に自由なサボリーマン(懐)へと進化しているのであった。

断っておきますが、私のおサボりタイムは私だけが得をしているわけではありません。極微量の労力を使って、皆にも利益と喜びが与えられる類のものです。それを可能にしたのは共依存の鶴の一声だった。いわゆる権力ってやつですな。

共依存は特別何かをしたわけではなく、ただ言葉を発しただけ。私は私で労力といえど、ただの「ついで」である。やたら喜ばれ感謝されるけども、私のリターンの方が遥かに大きい。その他もろもろ、今の私と共依存は需要と供給のバランスが上手く成り立っている。

これが健全な「与え合い」ではないかと思うんですよ。

「ある」ものを最大限に利用し、かつ皆にメリットがある。最高じゃないですか。少々のイライラモードくらいなんでもないわ笑 私は伊達に毒親の元に生まれたわけじゃないんで。

やりたくないことをやり、力量以上の労力を使うから大いに見返りを期待しすぎるんでね。たとえ力量以上の労力を使ったとしても、ジャッジを下すのは他人ですし。いずれにせよ、与えるより求めるほうが弱いことには違いないのである。

例の彼女もね、もちろん(しかもタダで)恩恵は受けてるんだけども。見えない人は理解できないからしょうがないのよ。

「ない」ものを求めるって苦しいでしょ?本当は「ある」んだけど、それはその人に与えられた課題だから手を出しちゃダメ。気付かないってことはまだ痛みを味わい尽くしていない証拠なのだよ。