続き。
久々に不穏な空気が流れていたらしかった日の翌日、共依存にはまだ若干のイライラモードが残っていた。彼女がミスをしたのはその日の午前中のこと。
午後、たまたま二人になった時、彼女は共依存の態度について悪態をつき、最後に「あれが許されるんだから羨ましいわ」と忌々しそうに吐き捨てた。
「ナニヲイッテルノ?」
驚いて声が出なかったが、きっと私はそのまんまの顔をしていたんだろう。「だってそうでしょ!」間髪入れずに捲し立て始めたが、それ以降の声は聞こえなくなった。
「羨ましい」
羨ましいってどういうことなのか。あなたも共依存のようになりたいのか。いや、待てよ。確か昔の私もそんなことを言ってなかったっけ。心臓が音を立てる。
記憶を遡ると、かつてこの場所で私と彼女は意見が一致し、大いに盛り上がった光景が浮かぶ。だけど私はもう、彼女の言葉の意味が理解できない。
完全に波動がズレてしまったことを確認した瞬間だった。
私が「変わる」のを躊躇った理由はここにある。
あっさり切れる関係ならいいけども、この先も否応なしに関わる必要がある人とのズレ。この瞬間がいつも怖かったのだよ。
でも躊躇うのは、得体の知れぬ不安に駆られるのは、「変わろうとしている」時だけだ。
いつ「羨ましい」がなくなったのか、いつ他人のイライラモードが気にならなくなったのかも覚えていない。気が付いたらそうなっていた、としか。
変わってしまえばそんなもん。もうその時の気持ちすら思い出せない。
だから躊躇うのは無駄だよねって。
逆に言えば「変わる、変わらない」を意識できている間は、まだ潜在意識が変わっていない、そこまで到達していないってことでもある。
勉強になった。