無慈悲

周囲を威嚇する目的で大きな音を立てたり、物に当たったりするのは立派なパワハラモラハラに当たるとされる時代。その行為が他人を委縮させたり、心を乱す原因となるのは事実である。

かつての自己愛と共依存はまさにそういうタイプであった。先週のイライラモードは過去と比較するとあってないようなものだけど、空気に敏感な彼女ならミスの原因を共依存のせいにしたとしても別に不思議ではない。

ただ。たとえそうだとしても、それらがまかり通るのは三次元だけの話で。五次元は完全に自己責任の世界。この世で起きたことは全て自分の責任です。

なら彼女がミスをしたのも私の責任なのかって話になるんですが、それはちょっと違うと思う。たとえば私が怒りを引き摺り、悪いことが起きたとする。そうなると私の責任ってことなんだよね。

確かに私は彼女にキレたけど、そのあとは普通に接してるし、帰宅してから美味しくケーキを味わう余裕すらありました。だからなにも困っていない。むしろ私にとっては気づきの多い、有意義な2日間だったのだ。

結局損をしたのは彼女一人ってこと。

こうした考え方が無意識下で広がっていけば、彼女のようなタイプと私みたいなタイプが分断するのは当然であって。もう弱者を盾に施しを要求できる時代ではないのだよ。

『風の時代=心の時代』は静かに浸透しているようですが。心の豊かな人が増え、全ての人に優しく、また生きやすくなる時代だと、都合の良い受け取り方をしている人をたまに見かけるんですけど。

風の時代は一言でいうと「自由」だと私は思っている。世間のしがらみから解放され、自分の大切なものだけを守れる時代。それは大切でないものを切り捨てるということにも繋がるのです。

「あなたも自由に生きればいいよ」

それは時に、とても無慈悲で残酷な言葉となるだろう。