損切り

株の話だけど。

私は取れたはずの利益を失うのが怖い。それよりもまだ望みがありそうな含み損のほうがマシだと思ってしまう。いわゆる負けグセというやつなんだろう。

それを性格のせいにしてみたり、運のせいにしてみたりした挙句、潜在意識で変えようと奮闘するも、この奇妙な考え方はなかなか直らなかった。

「もうこういうのやめたいな」

私はトータルでは勝っているが、現在も結構な含み損を抱えている。万が一、全てが飛んだとしても仕方ない。一応その覚悟があるからやっているのだけど、望んで飛ばしたい人なんていないはずだ。

やはり怖い。これ以上、含み損を抱えたくない。しかし、それゆえに「上がる」と確信した株ほど買えないという悪循環。この流れをどうすれば断ち切れるのか。

幸いにも今、証券口座に残っているお金は利益である。

「これ、飛ばしてもいいかな」

損切りは利益を守るために必要な行動であり、いわば英断なのだ。心底納得できてはいなかったが、その意図を持って、最近買った株を売ってみた。結果、なんてことはなかった。すぐさま違う株を買って売り、損切り分は余裕でカバーできた。

「あぁ、こういうことか。」

ダメなら売ればいい。ただそれだけのことだったのだ。

 

そして思った。ヒトの悩みのほとんどは人間関係だというが。不利益をもたらす人間関係まで、「助け合い」や「思いやり」という言葉で継続を強要する文化ってなんなの。

「幸せ」=利益だとすれば、損切りは幸せに欠かせないものである。なのに、ことさら人間関係については思考停止するというか、途端にアホになる人が多いのは、やっぱ洗脳だよな、と。

 

私が損切りに目覚めた日は、偶然にも例の彼女にキレた日であった。