仕方ない

持ち株の含み損がコロナショックによりエライコッチャになっていたのですが、元々の含み損が多いのでさほど動じることはなかった。まったく威張れることではないんだけども(汗)

上がり続けるという思い込みから余裕綽々で持っていた株が、あっという間に含み損まで抱えることになったトラウマから数年経っても抜け出せない。運良く含み益が出ても、持ち続ける怖さから微々たる利益で売ってしまうという癖も取れない。反対に含み損はロスカットすらできず、思考停止して見送ってしまうというトレードを繰り返している。

お金への執着は消えても株への執着は消えないんだな。もはや何に執着してるのかわからないし、変わり映えのしない画面を見るのも嫌だ。それでもIRが出たと知れば過剰に期待してしまう、売りに押されて結局上がり切れないチャートに落胆する。そんな自分がウザかった。もう感情を波立たせる全てのものから逃れたい、そう思っていた。

ところがいつからか感情が動かなくなりました。多分数週間以内だと思うけど、はっきり覚えていない。買った次の日に下がれば、もちろんモヤっとはするが仕方のないことなのだ。買値まで戻ったとしても弱いと思えば売る。その後上がってしまったとして、それも仕方のないことだから。損しなくてラッキー、くらいで頭の中から消してしまう。

ちなみに今日もやらかしてしまいましたが。後悔したからといって再び買い場が戻るわけもなく、「売りたい」と思った自分を責めてもしょうがない。すべては結果論。決して負け惜しみではなくて「仕方がない」のです。こんな気持ちでいると、やってることは大差なくても、なんだか楽なんですよね。結果にも若干の差がでてくる。

その証拠に微益ながらも最近は勝ち続けています。でもたいして嬉しくはない。嬉しくないというのは「要らない」と同じ意味ではありません。先に感情を動かして必要以上に必要なものにしたくないだけだ。大げさに嬉しがったり喜んだ方が、より大切で特別なように感じるでしょう。そういうのに疲れちゃったんだよね。

「仕方ない」は魔法の言葉。