解放

習い事に行き始めたせいもあり、最近プライベートで人と関わる事が増えた。その多くは、明るくて良い方ばかりです。それぞれ全く悩みがないわけではなく、色々と抱えたものはあっても他人に寄りかかろうとせず、相手への配慮も欠かさない印象を受けます。

だから一緒にいても楽しい。他人と関わるのを心から楽しいと思える日が来るとは思わなかった。けれど、こうした世界はきっと最初からあったんだろう。自分の周りは嫌な人ばかりだと決めつけていれば、そういう人を見つけてしまうのは当たり前だと今は納得している。

『自分が変われば世界は変わる』は本当だ。例えば妬みという感情は、自分の持っていないものを持っている人を憎み、どうして私は手に入れられないのかという苦悩を生みます。しかし、他人と比較する自分を変えてしまえば妬みからはあっさりと解放される。

妬みを原動力にして努力をする場合はいいとしても、努力をしたくないか間違った努力を積み重ねるだけならば、そうした方が楽なのではないかと考える。当人にとっては事実上負けを認めるという認識になるかも知れませんが、自分を認める行為でもあるからです。

とはいえ状況が悪ければ悪いほど自分を認めるのは難しい。なまじっか潜在意識系に頭を突っ込むと、認めてしまったら全てが終わるような気になってしまう。私は顕在意識で思考し続けなければ、これまでの努力が水の泡になるんじゃないかと考え、恐れていた。

だけど全ては今の自分を受け入れることから始まる。受け入れなければ本質に辿り着くことも、問題と向き合うこともできないのだから。自分が変わらなければ何も変わらないけれど受け入れるのも怖い、というジレンマに長年苦しんできたのだと思う。

私は過去、上司からのパワハラに悩まされてきたと散々書いています。潜在意識系では自分に原因があるといわれますが、私は間違っていない、間違っているのは相手の方だという認識を変えられず、どうしても納得することができなかった。

当時の私は自分の正しさに執着しすぎていたのだ。自分は正しくて相手は間違えている、つまり相手を変えようとしたから抵抗を生み、あんな結果になったんだと考えています。自分の努力や態度に原因があるわけではなく、もっともっと深い所にあったのです。

自分の思考に問題があると認めると楽になる。私にとってのメリットは自分のみならず、他人もそうであると思えるようになったことです。どんな状態にあっても自分がそれを選んでいるのだからと、無駄に感情移入する必要がなくなった。

何か事が起こるたびに私のせいだと自分を責めて努力をするも報われず、私の努力は間違えていないと相手を責める、そんな日々から解放された。今、私は自分の思考に責任を持つから、あなたも自分の思考に責任を持ってくれと思っているので、他人の感情に引き摺られなくなった。

私の世界に影響を与えるかどうかも自分で選び、決めることが出来るからだ。