男友達の話

私には大切な友人がいる。大切ではあるけれど何年も会わない時もあるし、普段は連絡も取り合わない関係なのですが。

私と彼は基本的な性格が似ていると感じる事が多いが、それは互いの生育環境が似ているからかも知れない。彼の家は私と違って比較的裕福ではあったけれど、兄弟のために我慢を強いられる立場にいた。しかも、私と出会った後もそれはずっと続いていました。

私は自分の家庭事情を彼には少し話しており、自分の経験も踏まえて何度か苦言を呈した事がありますが、彼は「いつか」「もしかしたら」を捨てることはなかった。そして長い年月が過ぎ、彼の親はある選択に迫られて事実上彼を捨てたのでした。

彼は「(私)の忠告を聞かなくてごめん」と頭を下げた。そうならなければわからないのだから仕方がないし、生き直すにはまだ時間があるのだから、これからは自分の人生を歩んで行ってくれることの方が私は嬉しかった。迷いは完全に吹っ切れたのだとそう思っていた。

しかし当然ながら、彼の親がクズを選んだ結果は最悪の結末を迎えることになりました。そしてこともあろうに再び彼に泣きついてきて、彼もそれを無視することはできなかった。私なら「それみたことか」と暴言を吐きまくる所だけど、彼は許す方を選んだのです。

先日、彼の親御さんに会ったのですが、「(彼)に申し訳ないことをした」と私の前で泣いていた。私は親御さんとも顔見知りで、これまでの経緯をある程度見ているから、もちろん親御さんの事は嫌いだった。彼の親も『ある種の人達』だと思っていたからです。

けれど不思議と落ち着いて親御さんの話を聞くことができた。彼の親が毒親かどうか、彼がACなのかどうかはちゃんとした定義があるわけではないのでわからない。彼が何を望んでいたのかは分かりかねますが、親御さんが生きているうちにその言葉を聞けて彼は救われただろうか。そうだといいのですが。

 

帰り道にぼんやりと2か月前の事を思い出していました。あの時の自分なら彼の親に対してどんな感情を持っただろう。私が口を出すことではないとわかっていても、嫌味の一つでも言いたくなるような衝動に駆られていたかも知れない。だけど私はもう、彼の親と自分の親を重ねることも、彼と私を重ねることもありませんでした。

彼はきっと、私と違って親を本当に愛していたんだろう。報われるとか報われないとかそうしたものを超えていたのだと思います。一度捨てられた人間が『許す』という名の施しを与えることが、どんなに屈辱的で尊いものかを彼は身を持って親に教えたのだと考えている。

そして彼は親だけではなく、どれほどの人に愛を注ぎ力を与えてきたかを、こうなってみて改めて気付いたのでした。今、たくさんの愛が彼に返ってきていると感じ、無償の愛は人を動かすのだと実感しています。

 

彼は「(私)に見捨てられたら終わりだ」と度々口にする。私は捨てられるかどうかなんて考えたこともないけど彼だけは絶対に裏切らないし、嫌いになるなんて未来永劫ありえない。それが当たり前すぎて存在すら薄かったのだ。

異性ではあるけれど、私は彼に男性を感じた経験がないので全く気付かなかったのですが、彼とIさんは似ている。衝撃の事実。