タイムラグ

習い事を始めて、私の生活は変わり始めた。一度帰宅してから習い事に行くまでの間に、家事や雑用を済ませておかなければ寝る時間がなくなる。特に、これまで後回しにしてきた掃除をおろそかにすると今の生活が維持できなくなってしまうのです。

その反動で帰宅早々寝てしまう日もあるけれど、廃人から一変して活動的な人になった。思い返せば、私は長い間他人の軸で生きてきたから、「自分が楽しいこと」に時間を使った記憶があまりない。楽しむことに罪悪感を感じていたせいもありますが。

人生のほとんどを仕事と人間関係について悩むことに使ってきたのだけど、それらは完全になくなってしまった。今は会社と仕事への興味は全く消え失せて、習い事の事で頭がいっぱいになっている。Iさんのことすら忘れている時の方が多いように感じます。

 

自己愛はどうやら、人を動かすため?の勉強会に参加したらしいと聞いた。はっきりとした時期はわかりませんが、そのせいで最近大人しいのだろうか。共依存が参加したかどうかは不明だけど、こちらも何かしらの影響を受けている模様。

少なくとも1か月以上前にはなると思うが、やけに積極的に他人に関わろうとする態度が目につくようになった。けれど、自己中心的思考を持つコミュ障の人間がいきなり絡むと、たいてい良い結果にはならない。嘘くさくてわざとらしいからです。

これまで無愛想で散々悪態をつきまくっていた人に、急にニコニコして近寄って来られても心の準備が出来ていない方は戸惑いを隠せず、早々に退散することになる。その様子を見て落ち込むという一連の流れが、私を疲れさせる陰の気の原因である。迷惑だからやめろ。

特に共依存者の闇は深く、たまたまそんな場面に遭遇し、退散しかけた相手が急に笑顔になった時は悲惨だ。物に当たる形で、遠回しに八つ当たりされます。以前の私はこれが怖くて社内と社外の態度を使い分けていましたが、そういうのもやめた。今はゴリラがウ○コを投げているようなものだと思い、生暖かい目で見守っている。

興味はなくても、もらい事故にあうので彼女の思考を見つめていると、現実化にはタイムラグがあるなとつくづく実感します。彼女が何らかの変化を起こそうとしているのは明白ですが、周囲が実際に彼女を『変わった』と認識するのは容易なことではない。

努力はしてみるものの思うような反応が得られず、「私はこんなに頑張っているのに」と再び元通りになる。すると周囲は努力を認めるどころか、気まぐれな性格に拍車がかかったと捉えることもできるのです。まさに悪循環である。

どんな結果になってもいいと思え、貫き通したその時に「変わった」と言えるのではないだろうか。上辺の態度を変えただけでは思考そのものは変化していない。それでは不足感からくるただの期待だ。思考の変化と覚悟は切り離せないのかも知れないな。

ちなみに私は一応、苦手な掃除を手早く済ませるようになりましたが、苦痛に感じたことは今の所ありません。必要に迫られればなんとかなるものですね。潜在意識さん、ありがとう。