一蓮托生

背中がゾワゾワするような感覚があった翌日、他にも異変がありました。同業他社の方が集まる会に少しだけ顔を出したのですが、何年も見慣れた景色が灰色に見えたことです。私は数か月前まで、この中に溶け込むのが当たり前だと思っていて、それなりに努力をしてきたつもりだ。

その頃はもっと色があって輝いていたはずなのに、人もその場所もなぜかどんよりとしていた。その場所で感じたのはその日が初めてでしたが、身近では少し前から感じている。もちろん今の会社だ。

自己愛をはじめとし、ジメジメした陰の気を強く感じる。それが広がり、会社全体の波動が低すぎるのです。一昨日、早速習い事へ申し込みを済ませて今日も行ってきましたが、習い事もさることながら波動の高い場所へ日常的に行かないと私のエネルギーが持たない。

ちなみに私はこれまで波動を上げる事を心掛けてきましたが、もうやめています。もう会社の為に無駄な力を使いたくないという理由ですが。その力は波動の高い所で、自分と自分を大切にしてくれる人に使いたいから。

それから、その日の夜「幸せ」という言葉が意図せず口から出てしまったこと。その時の私の日常は変わっていないし、特別な何かがあったわけでもないのに、私は無意識に何度か「幸せ」とつぶやいていたのでした。これはきっと潜在意識の声だと思う。

死にたいと思ったあの日、私は自分の意思に反して泣いていた。2か月が経ち、それは幸せへと変化した。いささか迷いのようなものもあったけれど、概ね良い結果になったのではないかと感じています。今の私にとって心の声に従う以上に大切なことはないのだから。

 

他人の感情を支配する人達についてあれこれ書いたものの、最終的にはそれを選んだのは自分。不愉快だと感じながら、それらを無視していい顔をしていたのは自分だ。嘘を付かせ、何でもなかったかのように振舞うことを強要したのは自分自身。

満たされた廃人はどうして満たされているのか、夢も希望もないのに満たされるとはどんな心境なのかについて。

何もかもを失い、夢も希望もなくなって自暴自棄になった廃人はただの廃人だと思う。自分の幸せを自分以外のものに見出しているからだ。ちょうど以前の会社を辞めた時の私のように。

今の私には仕事があるから当時と全く同じとは言えないけれど、夢も希望もない2か月を過ごした。この間、私は顕在意識で何かを動かそうとしていない。ただ流されて生きていると言えなくもないけれど、私は明確な意思を持って流されていたのです。

私はこれまでどうしてあんなに苦しかったのか。答えは簡単だ。潜在意識の声に背いたからです。潜在意識に反して、顕在意識で無理やり現実を捻じ曲げようとしたからだと思っています。頭と心が揃っていなかったから。

私はIさんを信じている。といっても、彼に何かを期待しているのではありません。彼の存在そのものを信じているのです。Iさんだけは自分に誠実に生きて欲しいと願い、そしてそうなるだろうと考えている。もちろんそうでなくても構わない。

信じるとはおそらくこういう事ではないかと思う。理屈や頭で考えるのではなく、それは自然と湧き出るのではないか。「いつか」「もしかしたら」は最初から信じていないのだ。信じたいし、信じようとしているだけなんじゃないかって。そして潜在意識はその事を知っている。

Iさんといる時の安心感のように、私はどういうわけか常に安心していられる。Iさんに心を委ねるように、潜在意識に身を任せているというとわかりやすいだろうか。とにかく潜在意識に丸投げ状態なのです。私の潜在意識は完璧だという謎の自信がある。

人も物も移り変わる。けれど自分だけは絶対にそばにいる。その唯一無二の存在を信じ、繋がった時が精神面においては一番幸せなんじゃないか。もしかすると失うかも知れないという不安からも解放されるのだから。

絶対的に信頼出来るものを手に入れた時、夢や希望がなくても満たされるんじゃないのかな、と今は考えています。全て任せた結果、どんな結末を迎えようと私はそれを受け入れようと思っている。

捨ててもいい人生なら飛び込んでみて、その成り行きを見守るのも一つの人生なんじゃないかなって。それはそれで楽しそう。