Iさんの話37~幸せ~

気が付けばあれから2週間以上が過ぎている。私はその間、大きな病気かも知れない可能性があることを知り、一応死を覚悟していた。精密検査の結果、今は悪性ではないらしいので、「まだ生きろ」ということなんだろう。

この間の記憶が曖昧で、いつからとかきっかけとかは全く覚えていないけども、私は願望や潜在意識について考える時間がとても少なくなった。では何を考えているのかというと、何も考えていない。もちろん掃除の事も自分の事も意識に上がってこないのです。

私は思考を手放すことへ恐れを抱き、頑なに抵抗していたのですが、もしこれが手放すということだとしたら想像とは全く違うものだった。

願望を忘れるというのは諦めることなのか。今あるもので無理やり満足させ、「自分は幸せだ」と言い聞かせることなのか。それらを忘れたフリをして、しかし横目で監視しながら生きていくということなのか。こうした疑問はどれも間違っていたのだと思う。

世界=自分という領域に達したわけでもなく、目の前にある全ての物に感謝しているわけでもないですが、とりあえず「幸せ」であると言える。

 

私は信じてもらえなかった出来事へ執着していましたが、今考えれば大したことではなかった。仮にあの時、あの場面で私が満足するような結果だったとしても、きっと私は違う形で失望していただろうと思うからです。

そして自分自身がそうであったように、信じる信じないは相手には関係のないことで、その人が何を信じるかは勝手だから。私を信じられなかったのではなく、別の誰かを信じていたというだけだ。私に責任があったのではありません。私も自由、相手も自由。

自分を頭から信じていない人達に全ての力を使い、無意識に「信じて欲しかった」と願い続けた日々はなんだったんだろう。私が欲しがっていたのは一体何だったのか。

こうした気持ちになれたのは、やはりIさんの存在があり、この間に私の彼へ対する気持ちも大きく変わりました。私が今まで愛だと思っていたモノは、ただの欲でしかなかった。全部自分を満足させるための欲から来ていたんだと思う。

今現実に彼が私をどう思っているのか、私達の関係はこれからどうなるのか、そうした事へ思考を巡らせることもなくなりました。

今迄こんな気持ちになったことがないので説明はし難いのですが、とにかくIさんには感謝しかありません。彼が私を大切に扱ってくれたことで、過去の出来事は文字通り過去になったからです。

彼の行動を好ましく思い切れない部分はあります。他者に対してもう少し優しくてもいいんじゃないかとか、彼を快く思わない人もいるんじゃないかとか、そういった意味で。しかしそれを差し引いても彼が私の人生に光を与えてくれたことは違いない。

そして、もし私が当たり前のように愛を与えられて、それに慣れ切っていたとしたら、私は彼の優しさに気付くことができただろうかと考えました。私が彼を見つけられたのは、あの過去があったからではないかと。

そう思うだけで涙が出そうになるほど嬉しい。初めてこんな感情をくれたのが彼であったことが、ただ幸せなのです。