紙切れ

遠い記憶。まだとても若かった頃、すごく好きだった恋人が突然失踪したという過去がある。なかなかの黒歴史ですが、当時の気持ちは思い出せない。悩み抜いた末、1年という期限を区切って待つことにした。何も告げずに失踪する時点でロクでもない男ではあるけれど、恋は盲目と言いますし。

ちょうど1年が過ぎた頃、友人から紹介の話が来た。正直未練タラタラだったけど、自分で決めたことだから前に進まなければと、その話を受けた。するとお互いに一目惚れをしてトントン拍子に事は進むこととなる。失踪した彼から連絡があったのは、その数日後だった。

電話を受けた時、新しい彼はそこにいたのですが、深刻そうだからと気を利かせて外へ出てくれた。「こっち(どこか忘れた)へ来てくれないか」という彼の声に心が揺るがないわけがなく、即座に返答をすることが出来なかった。夜にもう一度連絡をするから決めて欲しいと言い、相手は電話を切った。

もちろん行かなかったから今ここにいる。新しい彼がいなくても行っていないような気もするけれど、もしかしたら行っていたかも…わからないな。もし行っていたら海の底に沈められていたかも知れない。とにかく行かなくて良かったことだけは事実。

『悪いようにはならない』これは真実だなぁと思いまして。潜在意識は答えを知っている。通常、願いというものは顕在意識で認識されている。エゴだったり意地だったりが、本来の願いとはかけ離れた事を「本願」だと思い込んでいる可能性は高い。というか本当は認識すらできないものなのかも、と考え始めている。

以前の会社は時代の流れで業績は下がる一方だからタイミング的に辞めて良かったし、昔の恋人も別れて正解だったと思う。彼も私と同じくACだったけれど、私はきっと彼では救われていない。限りなく普通の人に擬態することでしか幸せになれなかったはずだと思っているからです。

昔の恋人に関しては、時間を掛け過ぎたことだけが悔やまれる。願い続ければ叶う、確かにそういう側面もあるだろう。しかし何にしたって元来の性格も大いに関係があるので一概に言い切れるものではないと思います。私に限っては待つことに向いてないのだ。その性格をわかっているから、粘り強い人に憧れていた。

だけどいくら時間を掛けようと、叶う時は叶うし、叶わない時は叶わない。方向性を間違えれば努力は徒労に終わるから、それもあんまり関係ない。「何もできることがない」のです。「いま」を生きることしかできないんじゃないのかな、結局。必要なのは決定と覚悟、そんな気がしますよ。

先日Iさんに会ってからのグダグダと思い悩む自分は好きじゃない。楽しくもないし幸せだとも思わない。それってIさんは私を幸せにできない存在になってしまったということでしょう。願望がチケットだとすると、大切に握りしめているうちに期限が切れちゃったようなものだ。映画なら見れないしテーマパークには入れない。

何か良いモノを手に入れるはずだった引換券は、効力を失えばただの紙切れなんだよね。今回はエゴに勝った模様ww  疲れた。