茨道

あけましておめでとうございます。

元日は1日中ほぼ、お布団の中にいました。起きたくなかったからです。年末年始は美肌作りに集中しようと思っていたのだけど、朝、顔を洗う気力もなく。暫く忙しかったのと、エゴとのバトルで疲れ切っていたので、ただただ寝ていたかった。でもいいんです、したくないことはしなくてよい。掃除だけはしておいて良かったと思いました。

そんな年明けでしたが、心の中はあのバトルが嘘だったかのように平穏でした。ただ昔の恋人との事を未だに昇華できてなく、あんなにも強い念が残っていたのには驚いている。彼が今何をしているのか知らないし知りたくもない。不幸なのか幸せなのかも私には知る由もないのです。怨恨と罪悪感は潜在意識にとって敵。改めてそう強く認識しました。

更に捨てなければならないのは「叶わなかった事実」への執着です。昔の会社や恋人、Iさんは単なるきっかけであり、本当は「(現実を)信じて裏切られるのが怖い」「もう傷付きたくない」のが本音だったのだと思う。そんな思いをするくらいなら自分から捨ててしまおうという破壊的な思考が根底にあったことにも気付いた。

私がちょいちょい引用させていただいている方は詭弁さんというコテハンなのですが、彼も108氏も他の達人方も、『現実が嘘で妄想が現実』といった趣旨の話をする。私は潜在意識の世界に飛び込んで良かったと本気で思っていますが、まだまだ全然その域には達していない。年末のご乱心は自分を信じ切れていない証拠だと頭を殴られた気分。

だから既にあるは茨の道なのだ。(詭弁氏)

今、私は仕事や人間関係、お金について以前のように渇望できなくなっている。それらは「既にある(と思い込んでる)」からです。そうすると考えることがあまりない。何かを追い求めて「叶わない」と嘆き苦しむ現実には、やはりドラマがあった。穏やかな幸せを望んでいると思いきや「渇望する現実」を望むことってある。それがヒト科らしい生き方というやつなのかも知れない。

改めて私が潜在意識で叶えたいことってなんだろうと考えてみたのだけど、ただ漠然と常に幸せを感じていたいというくらいしか思い浮かびませんでした(今の所)。私は何かを叶えたいというより、叶えることが目的なのだろうか。宇宙の真理に到達した先の世界が見たいだけなのか。でも飽き性の私が長年飽きることなく継続していることと言えば、たったそれだけなんだもの。

せっかく生まれてきたんだから何か一つくらい極めてみたいんだよ。茨の道を抜けた先の景色を見たい。

 

早速気になることが。 

私はみぞおちの辺りにエゴを認めていますが他の人はどうなんだろうと思い調べてみると、そこは第三チャクラだそうです。活力や自分を信じる力と関連があり、ここにトラブルがあると不安や恐れに押しつぶされたり、慢性疲労などのエネルギー不足になるらしい。ちなみに胸は第四チャクラで愛・感情・情緒との関連があるという。

あらゆる感情の源は第三チャクラからくる(多分第四チャクラの感情とは違う意味だと思われ)とされていますが、その機能を高度に発達させるのは機能不全に陥った家庭環境で育った子供たちだそうです。ここから送られてくる衝動、”本能”に依存した生活を送るため、直観が送ってくる智慧に耳を貸すことができない、とありました。

へー…心当たりアリアリなので、ちょっとこれは聞きづてならないですね。