Win-Win

※エゴの声は心の中から聞こえています。幻聴が聞こえるというような病気ではありません。念のため。

 

早朝日記を書いてから再び寝ようとしたら、効力を失った紙切れの持って行き場がないことに気付いた。意識の中で長年握りしめていたそれを忘れ去るのは難しすぎる。自分を客観的に見る事でその馬鹿馬鹿しさを確認しようとして、目の前に紙切れを並べて悲しそうに見つめる自分を想像してみた。…ウザい。思いのほかキツかった。

再びみぞおちの辺りが重くなる。エゴに勝ったかのように見えたけれど、奴は簡単に諦めたりしない。すると「エゴに引き取ってもらえばいい」と突然神のお告げが降りてきて。あぁそうか、エゴに与えておけばいいのか、天才。エゴは不幸が大好物で、且つその状態を維持しておきたいのだから、格好の引受先である。

私はそれらをエゴに引き渡し、悲劇のヒロインに浸りきってる様子を「バカだなぁ」と思いながら冷ややかに見ていた。これまでエゴの声を心の声だと勘違いする程、エゴと一体化していた「私」は分離できた様子。それは喜ばしいことだけど「私」はこれからどこへ行けばいいのか。

108氏は、エゴとそれ以外の領域という言葉を用いる。それ以外の領域というのが所謂『別の領域』というところらしい。どうやら『別の領域』とやらの定義は108氏発祥っぽいです。私のエゴはみぞおちの辺りにいるから、それ以外が別の領域となるんだろうか。

私は自分の背後、背中から後ろの空間を別の領域にすることにした(108氏は「する」という表現を使いません。個人的な方法です)。エゴには背中が見えないだろうから、目の前の景色を変えない方がいいような気がしたのです。相変わらず「願望が叶わない」という意識の中で生息してもらった方が、エゴのためでも私のためでもあるな、と。

エゴに私が分離したことを知られてしまったら、また大騒ぎする予感がするもの。その度に不毛な戦いを繰り広げる羽目になるのはコリゴリだ。疲れるんだよ。エゴと一体化したままのフリをして波風を立てないように。奴にはとりあえず不幸を抱きしめていて欲しいのだ。お前の存在意義はそこにしかない。

不幸なエゴはそこへ置いておいて意識を後ろにずらした。…気持ちいい。そこには何もなかった。何もないけど安心感と幸福感だけは感じることができる。アイソレーションタンクに浮かんだ時のような、波に揺られているような感覚。調べてみると似たような感覚になる人がいた。でも、あれが別の領域なのかどうか今はまだわからない。

だけどだけど、エゴと分離できたのはとても大きな収穫でした。以前書いた、「ツイてない自分」「どうして私だけがこんな目に遭わなきゃいけないの」「可哀想な私」「いつもタイミング悪い私」 これらは全部エゴの声で、「なる」とか「ならない」以前に私の中の「エゴ」という独立した部分だった。

これまで自分の意識は自分で選ぶという方法をとっていたのだけど、今回のように難しい場合もあると思う。頭では割り切れないことも多々でてくるだろう。しかし力技ではとても精神を消耗する。それらをエゴに引受けてもらうことで、負の感情から簡単に離れることができるのです。なんというWin-Winの関係。すこぶる効率がいい。

 

お昼前に起きて、ここまで書いてから、今年のお礼を伝えに年末詣へ行ってきました。そこには相性の良い大木があるので、”愛を表現する石”の付いたリングを着けて行ってパワーチャージもさせていただいた。大掃除とまでは行きませんでしたが一応掃除も済ませました。とても疲れる年末となりましたが、今年後半から続いた変化の〆としては最高だったと思う。 

しつこいですが昔の恋人について。私は「自信がないなら一生胸の内にしまっとけ」と書いたけれど、それは彼も同じ気持ちだったと思います。私は彼の答えを待ち続け、自分なりに努力した。そしてようやく彼が心を開いた矢先、結果的に私は彼を裏切ることになったのだから。もう気持ちが離れていたから仕方ない事とはいえ、ずっと罪悪感はあった。

私が悪かったんだ、なぜもう少し待てなかったのか、彼はどんなに傷付いただろう、もしも私がACでなければ彼を幸せにできていたんだろうか、とかね。でもぜーんぜん関係ないです。私は悪くない、彼も悪くない。悪かったのはタイミング。やっと心の荷が下りた。反省と改善は大切だけど、後悔はなにも生まない。

今年最後にお気に入りの一文を。

あなた方は現実に決して救われてはならない。

こういう言葉は誤解を招くが、現実におこるどんな「よきこと」も「あしきこと」も「聖者の言葉」も「愚者の言葉」もそして「おやじのいびき」もあなたを惑わす敵なのだ。

それがどんなに優しく支えになる言葉であっても、あなた方は完全に自分で自分を救わなければならない。

色々とありましたが、総合的には良い1年だったと思います。 来年も潜在意識道を極められるよう、精進して参る所存です。良いお年を。