抵抗と孤独

前回の日記に、『そしてこれからも「不幸がデフォルト」だった自分が顔を出し、その度に葛藤するのだろう』と書いた。あの時、本当は既にその片鱗が見えていた。

あの日はモヤモヤする出来事がありました。ちょっとした不備で、とある場所の担当者からきついお叱りを受けたのだ。ちなみに顧客という関係でもなく、私のミスでもありません。しばらく人間関係が順調すぎたせいか、結構グサッときましてね。それから、そんなへなちょこな自分に自己嫌悪。

「わかりました」と言っているのにしつこく念を押してくる執念深さにもイラつく。会社を出てからもモヤモヤが収まらなかったので、1時間半ほど高速を走って頭を冷やした。帰宅してから日記を書いた時は、もう彼とのやり取りはどうでもよくなっていたのだけど、みぞおちの疼きは全く収まらなかった。

私は何となく「調子に乗るな」と言われたような気がしたのだ。彼からではなく、何かの力が彼を通じて送ってきたメッセージのように感じていた。そしてそれはエゴの抵抗だと気づいたのです。年末にエゴと戦った時はIさんという理由があったけれど、今回は単なるきっかけに過ぎないので、得体の知れない、あの感情は言葉で言い表せない。

「今すぐ元に戻れ」「それ以上進むな」と言わんばかりの抵抗だった。早めに就寝の準備をして自己ヒーリングでエゴと向き合ってみると、私は確実に「恐れ」を感じていた。私はっていうか私の中のエゴが恐がっている。「変わるのが怖い」と。

ここ最近、こんなに怖さを感じた記憶がありません。数か月の中では最大の抵抗ではないだろうか。意識をずらそうにも明確な理由がないから対処のしようがなく、ただひたすらエゴに「大丈夫だ」「心配するようなことにはならない」と語りかけた。年末のように駆逐しようとしない方がいい、エゴは脅えているだけだから寄り添った方がいいように思えたのです。

 

モヤモヤを引き摺ったまま4日が過ぎても、私の心は恐怖に苛まれていた。不幸な人に足を引っ張られるような、それでいて原因とは言い切れない謎の怖さ。そしてさっき「変わりたい自分」から変わってしまうことが怖いんだと結論づけた。

私はずっと「変わりたい」と願ってきたから、変わってしまえば私の願いはなくなる。今の私には具体的な願いがありません。なので、とにかくどんな方向かはわかりませんけど、「変わること」が最大の願いなんだと思う。「変わりたい自分」がいなくなる、それは自分でなくなることなんだろうか。

こうして誰かや何かにモヤモヤしても、人前ではそれらを切り離せるようになった。我慢してるのではなく「いま」に集中しているから、他人と笑い合えているワタシは作り物ではない。だけどこの3日間はずっとずっと孤独だった。私の世界には私しかいないんだと痛感した。しかし、この孤独をも愛さなければ、私の世界は完成しないような気がして。