混乱

いつからかはっきり覚えてないですが、多分4月後半から5月の終わりまで、私はとても穏やかだった。理由なんかなくても、車の窓越しに見る空の青さにさえ「シアワセ」と呟いてしまうほど本当に幸せだったのだ。これは物事が上手くいっていたからじゃない。逆にシアワセだったから上手くいっていたのだと思っている。

6月1日は月曜日でキリが良かったこともあり、私は5月のシアワセモードを持ち越したまま、感謝ノートを付け始めたりトイレ掃除に勤しむことにした。別に深い意味はなく、ただ感謝の気持ちを持ち続けられる自分でいたかったからです。

1日からの5日間、微益ながらでもトレードで毎日利益を上げているというのに、私は日々苛立ちが募っていき、金曜日にはどうしようもない怒りが湧いていた。チャンスを掴めない。タイミングがズレる。そんなことへのイライラが積み重なってピークに達したのだった。感謝なんかできない。

無欲で始めたはずの感謝ノートやトイレ掃除、ついでに株も全部ブン投げてしまいたい。楽になりたい。精神的な疲労がどっと押し寄せ、ゴミ捨てすら「どうでもいい」と思うほどやさぐれていたのですが、かろうじてそれだけは済ませた。

みぞおちが疼く。私の平穏で幸せな毎日は、再びエゴに乗っ取られてしまったのだ。

何が引き金になったのか、今もよくわかっていません。考えられる原因としては、私は身の上に起きたラッキーを他人事のように見ていた側から、受け手としてはっきり自覚してしまったこと。どこかから降ってくるサインに乗るよりも、自分で動かしたいという欲求(エゴ)が出てきたこと。この辺りかと思う。早い話が空回りしているのだろう。

「願望を実現しようとする」のがプレイヤー

「願望を実現しようとするプレイヤーの表現をする」のがアーティスト

だと詭弁氏は言う。すべての呪縛から解放され、幸福実現ゲームをするプレイヤーをやめて、アーティストとして生きること。これが私の最終目的地なのですが先は長そうだ。少しわかったのは、私は先月までアーティストとして生きかけていたこと。自分の意志(エゴによって)でプレイヤーに戻ったことです。

 

3月のアセンション後、「人々の願いは叶いやすくなる」とあちこちで書かれていた。アセンション=5次元へ向かうので時空を超える=叶うまでのタイムラグが短くなる、ということだと私は理解しているのですが。株に限らず、私はこれを実感することがとても多くなったので、あながち嘘ではないのかもと思っていた。

ただ、思い浮かんだことが難なく得られたり、あっさり答えが浮かぶのは、ヒトとしてちょっと抵抗があるのも事実。努力とかやりがいとか、そういうものを善しとして生きてきた人間にとっては呆気なく感じることもあったりするのです。

アーティストとして生きることは、プレイヤーには戻れないことを意味しているように思える。プレイヤーとして泥臭く生きるのが嫌になり、アーティストを目指したところで、それもどうなのかと心がぐらつく自分に今気が付いた。みぞおちから感じる不安はそういうことなのかも知れない。

欲しいものが何でも手に入る世界、もしもそれが当たり前になったなら。私は青い空に、変わらず「シアワセ」を感じられるのだろうか。ちょっとおセンチになっちゃうな。

混乱している。