信じるって難しい

何かにつけ潜在意識に絡めるのはどうかと思いますが、この落ち込みは好転反応なのかも知れない。あの異様な眠気は何かを深く考えた時によく起こるので、脳が作戦会議をしているのだと思っていた。

潜在意識の書き換え時に起こる好転反応とは、変わろうとしている時に現状を維持したがる潜在意識が抵抗することで様々な不具合が発生する事を指す。一時的に状況が良くなった後で起こったかどうかがポイントだと言われています。

その際、精神の落ち込みや身体の不調、環境の悪化などが伴う。そして潜在意識の書き換えを邪魔している観念(おそらくメンタルブロックだと思いますが)が炙り出されることもあるそうです。

今回はIさんの持つ強さと優しさが自分の弱さを浮き彫りにしたのだと思う。その時の気持ちは言葉で言い表せない。ただ訳もなく悲しくなったり不安になったりした挙句に、猛烈な怒りとなって爆発したのでした。

その間、理由はわからないけど涙が出てくることが度々あり、前回の日記を書いた後もしばらく涙が流れていた。私は自己愛のことも書いているけれど、断じて信じて欲しいわけではない。寧ろ願い下げだとすら思っている。

では泣いているのは誰かということになりますが、無意識の部分であり本当の自分だとも言える。私自身も忘れていた傷がまだ癒されていなかったんだろう。そう感じると同時に、頭で考えている自分とは別の存在をはっきりと自覚できたのは大きな発見だとも思いました。

私は今の時点で誰かに「信じてもらいたい」のではなく、信じてもらえない出来事が起こる度に過去の傷を掘り起こして辛くなっているのです。そして私は誰にも信じてもらえない自分に「なっていた」のだと確信した。それから、やっぱりあの叫びは私自身へ向けられたものだとも。

結果的に相手が信じようと信じまいとそんなことはどうでもよく、悪意を持った誰かを庇うような真似をしてはいけなかったのだ。例え言い訳と捉えらえても、私は身の潔白を証明するべきだった。沈黙は疑いを真実に変えてしまう。つまり私は自分から進んで無実の罪を着せてしまったのです。

最初に裏切ったのは自分。だから私は自分のことを信じていないし、本当の自分である潜在意識のことも信じ切ることができないのかも知れません。

 

私は先日まで自分のことを信じているつもりだった。会社は別として、仕事そのものでは大きな選択ミスをしたことはないからです。顧客に嫌われたことがないという自信は無意識によるものだとも考えていたからだ。それを私生活に活かせない自分に苛立っていたわけですが。

しかし私は10代の頃から人間の心理や物を売る技術に関しての本を読んでいる。若さゆえ飲み込みもよく、素早く実行に移した結果であり、知識と経験に基づく自信だったのです。自分を信じた結果こうなったのではありませんでした。

信じるとは「何があってもいい」という覚悟の上に成り立つものだと思う。寧ろ覚悟がなければ口に出してはならないし、それゆえ「信じていたのに裏切られた」なんて本来はあり得ないのだ。「裏切らないだろうから信じられる」ではなく、信じる方が先なのです。

潜在意識系は『自分を愛すること』『自分を信じること』、最終的にはここへ向かうのですが、その難しさから難民が絶えないのだと思う。

 

今日のお昼に新月を迎えました。今回は美・社交性・愛がテーマのようです。ここでもやはり「まず自分」ということで、自分自身と向き合うことをおススメされています。”今のタイミングで過去のトラウマや記憶を思い出したら取り組むべきテーマ”だともありました。

だけどもう何も願う気になれない。私は長年持ち続けたままの願いや、Iさんのことも含めた全ての願望を一旦手放さなければいけないような気がするからです。全ての願望を諦めた先には何があるんだろう。