信じて欲しい

久し振りに凹んでいました。最近順調に運気が上がりつつあると感じていたのですが、Iさんのことをきっかけに一気に反転した。

彼は直接関係ないのだけど、もし私が親から無条件に愛されていたら人生は違っていたんだろうか、もしそうだったら私は自分の価値を無意識に認めていられたんだろうかと考えるようになった。そして、この年になっても自分の価値がどうとか考えているのが情けなくて悔しくて。

少し前から、再び潜在意識について真剣に取り組んでいるのだけど思うようにいかず、ただただ疲れている。特にここ1週間ほど体のだるさが半端なく、異様な眠気に襲われて、帰宅するなり一度仮眠を取らないと動けないような状態が続いていた。

そして昨日、お昼過ぎに目が覚めて何故か死にたくなりました。死にたくなるほどの何かがあったわけではありませんが、何となく全てを終わらせてしまいたくなったのです。

そんな気持ちになったのはIさんに出逢う直前以来のことでした。もう何もかもどうでもいいと諦めきった矢先に彼に出逢い、がむしゃらに自分を変えようとしてきたのだけども、ふと「私はいつまでこんなことをしなければならないのか」という思いが湧いてきた。

例外を除き、人の願望は尽きることがない。自作自演の願望実現ゲームだと頭では理解していても湧いてくる欲望を抑え切れず、その度に何かを乗り越える努力を続けるのだろうか。生きている間、延々とこれを繰り返すのかと思うとぞっとする。もう楽になりたい。

 

それでも思考を止めることは出来ないので(瞑想とかありますがヤル気がでない)、横になって潜在意識系の記事を読み漁っていたのですが、夜中になって急に猛烈な怒りが湧いてきまして。それは自分でも気付かないくらい意識の底にあったものだと思う。

私はどういうわけか、ある種の人達から疑われることが多い。全く思ってもみない事を「本当は~だと思ってるんでしょ」とか。言葉に出さなくても、そう思い込まれて酷い裏切りを受けたことも多々あります。今だったら名誉棄損で訴えて余裕で勝てるレベル。

そんな風に思われるのは私に何らかの原因があるんだと諦めて生きてきた。同時に世の中は猜疑心に満ち溢れているから仕方がないのだと。自分の思いを口にするのが苦手だった私は言い訳も反論もせず自分が悪者になってさえいれば、彼らの気は収まるんだと思っていた。

だけど本当は私は悲しかったんだ。記憶の中の自分は「どうして信じてくれないの!」と、それはもう凄まじい勢いで叫んでいた。悲しみは「信じてもらえない」という怒りに変わり、身体が震えるくらいの憎悪が止まりませんでした。

私はずっと自分を誰かに「認めてもらいたがっていた」のだと考えていましたが、そうじゃない。ただ「信じて欲しかった」のです。疑われることが嫌いなのは自覚がありましたが、ここまで根強いものだとは思っていなかった。

そして怒りにまかせて、想像の中で親を始めとした対象者をマシンガンで撃ち殺していた。物理的にこの世からいなくなって欲しいわけではなく、記憶の中から消し去りたかったのだ。

直近だと勿論自己愛達も含まれる。私への嫉妬らしき感情は元々自らの猜疑心から発生している。私は自分の思いを何度か彼に説明したものの、彼らの疑いが晴れることはありませんでした。

果たして私はそこまでする必要があったんだろうか。誤解を解くのは時には必要だと思うけれど、勝手に疑う人を疑われる側が安心させるという行為はどうなのかと思いつつ、穴だらけになっていく体を見つめていた。

しばらくして急に冷静になり気持ちが落ち着いたので、おそらく気は済んだんだろう。我に返ってふと、あの「信じて!」という叫びは他の誰よりも自分に向けられていたんじゃないかと思いました。

だって罪のない自分自身に「あなたに原因があるんだよ」と責任を押し付けてきたのは他ならぬ私なのだから。