幕開け

私が一緒に仕事をしたくない人のタイプは、断トツで私情を入れる人です。臨機応変とか状況に応じて変化するのではなく、その時の気分で言う事が変わる人。例えば、明確な理由もないのに書類を作り直させたりして他人の時間を奪うような。残念ながらごく稀に顧客の中にもいます。

それが故意であるか、単に気の回らない人なのかはすぐにわかります。故意にこういう行動をとる人は、ほぼ欲求不満だと考えている。おそらく自分の人生に満足していない。

今日も自己愛にこれをやらかされました。きっと故意だろうけど、どうして少し先を読めないのか。何故こんなことがわからないのか。頭ダイジョウブデスカ?とかなり苛ついていました。

どうしてこうも人を苛つかせる能力だけは長けているのだろう。今日は新しい時代の幕開けでいい気分だったのに。私の気分を害するんじゃねー!と思うとどんどん怒りが湧いてきた。

このイライラをどう昇華させようか、イライラの原因は私のどこにあるのかと考えながら帰ってきました。

私は働きアリの法則でいう下位2割の怠け者が大嫌いだった。それは多分、家庭の中で自分が犠牲になってきたという思考があったから。身勝手な家族の中で自分まで我を通せばバランスが崩れると思っていた。

けれどそう思っていたのは私だけで、他の誰もバランスなど求めていなかった。まぁ大きなお世話だったわけで。今は無駄なことをしちゃったなと思う程度だけど、その反面他人に迷惑を掛けられる事に対しての怒りは以前よりも大きくなったような気がする。

あの子に出会ってから一番変わったことは、他人に好かれたいと思わなくなったことです。もちろん自然と他人に受け入れられたり、私といる誰かが笑顔になってくれたりするのはとても嬉しい。矛盾しているようだけど、私はそれを欲しがっていない。私が求めているのではなくて、結果的にそうなったことが嬉しいというか。

ですので別に嫌われてもいいのです。ただ私を嫌いな人は関わってきて欲しくないなと思う。わざわざ他人を不愉快にさせる人など私にとっては「要らない人」なのです。要らないので寄ってこないでほしい。

先に書いた面倒くさい人は他人を動かすことで支配欲を満たしている、つもりだけどやってることはただの残念な人である。そう思うと笑えてきたし、他人を振り回して気を晴らしているけれど、本当は自分の欲に振り回されているカワイソウな人なんだと憐みの念すら湧いてきた。一生やってろ。

そして自分を必要として欲しい、認めて欲しいという欲はこんなにも無様なものだったのだと過去の自分が恥ずかしくもなりました。

自分を愛すると世界が変わる。ほんの少し。