足を折られる人

景色が変わった。

これまで私が関わってきた人々の中でもメサコン達は一番酷かった。故意にクレームを出すだけにはとどまらず、会社の商品の大部分を破損させようとしたこともある。それでも「かわいそうな女の子たち」で済まされる彼女達と、それで済ませてしまう人。

彼女達は許されて私が許されないのは何故なのか。私が子供の頃から持っていた疑問。兄弟は許されて私は許されないばかりか、尻拭いをしなければいけなかったのはどうして?許される人にあって私にない物は何なのか、ずっとずっとそれが知りたかった。

私だってわがまま放題に振る舞って、それでも許されるくらい愛されたかったのに。

その気持ちが自分を依存へと駆り立てた。だけど私はわがままを聞いてもらっても愛されていると実感したことはない。自分のダメさ加減を思い知るだけだった。「こうしたら愛されるはずなのに、どうして私は苦しいんだ」と思っていた。

と同時に、私はこのままでは本当にダメになると思い、彼に別れを告げました。最後までわがままを許してくれた彼には本当に感謝しています。

そうした時を経て、今の自分は回復したというよりも本来の自分に戻ったような気がする。ソウルメイトのNさんといた時から生き辛さだけを抜いた感じ。

今、私は自分の事を愛しています。特に理由はありません。

多くの人は誰かを好きになると思う。だけど100%理想の人というのは少ない。多少は嫌な部分に折り合いをつけている。しぐさ・行動すべてを思い通りに変える事は不可能に近いでしょう。なのにどうして自分に対してはそれができなかったのかな。

偽りの自分を好きになってもらうと自分を嫌いになります。そして自分を嫌いになると誰かで埋めようとします。他人に埋められたものは、それを失う恐怖を生みます。

愛される為の努力はしない方がいい。その時間を使うなら自分を好きになる努力をする方がよほど建設的だと思う。

私には元々自分を愛する力が備わっていた。そして、この世に生を受けた人は全員持っていると信じたい。

私の母が兄弟にした行為は優しい虐待です。兄弟はこれまでもこれからも自分の足で立つことは多分ないと思う。誰かから愛されていても、心から受け取ることはできないだろう。

いつか失うかも知れないという恐怖から逃れる事ができるのは命が尽きる時。母は兄弟から自分を愛する力を奪った。母が費やした総額はどれだけだったのか知らないけれど、あまりにも高い代償だ。

私は足を折られる人に選ばれなくて良かった。心からそう思います。