醒める

母、共依存、メサコン達についてぼやかして書いてきた「何か」は障害だ。診断が下りてない以上、いわゆるグレーゾーンと呼ばれるのかも知れない。しかしメサコンだけは診断が下りている事を確認した。「やはり」と思うと同時にとんでもない脱力感に襲われました。

他人からすればどうでもいい事にしつこくこだわる。一度インプットされたものが抜けず、新しい方法になかなか馴染めない。して欲しいことはしないが、しないように伝えたことはきっちり行う。人の話が理解できない、気持ちがわからない。都合の悪い事は簡単に記憶が入れ替わる。こうした共通点から、発達障害の中でも同じタイプなのだと思う。

そして気になったのは、発達障害の人同士は引き合うことが多いらしい。反対に極端に毛嫌いする場合も同族嫌悪からくる時があるという。私ははたして当事者かトラウマ故か、そしてもう一つの可能性、カサンドラ症候群なのか。私自身は困ってないので考えるのは無意味だと思ってやめた。

それよりも問題なのは自己愛にもこの傾向が多々見られることです。不確かなことやイレギュラーなパターンにキレる言動は特性からくるものだったのではないかと思う。パニックに陥っているから、当人は暴言を吐いてる自覚がないのは無理がない。なんだか色々と…私の心の糸がぷっつりと切れた。許せないな。

 

私は仕事のペースを更に上げている。まさに分刻みの時もあり、メサコンと働いていた会社を思い出す。動けば動くほど負担がのしかかり、会社の売り上げは上がっても私は疲弊するだけ。「どうして私だけが」ずっとそう思いながらも、とにかく動くしかなかった。

だけど今は誰のためでもありません。結果的には会社のためになっているだろうけど、私はただ心理的にIさんの近くにいたいだけだから全然疲れない。損か得か、そんなものはどうでもよくて、下らない手繋ぎゴールから離れたいだけなのよ。

同時にあれから自己愛達と関わる時、全ての感情を遮断している。目の前にいるのにガラスを一枚隔てたような感覚だ。何かを察知したのか、憐みを乞うような上目使いがたまらなく癪に障る。もう彼らの心情を汲むことはできません。汲もうにも私には理解のしようがないのだし。

ある種の人を見捨てることに罪悪感を抱き、普通の人にも馴染めず、どっちつかずでウロウロしていた過去とやっと決別できそうだ。穏やかで笑顔の絶えない日々、そんな当たり前の日常を望んでいたんだと認めるまでに長い時間が掛かってしまった。