副産物

久しぶりに以前の会社で働いた頃を思い出しました。私から見たメサコン達は宇宙人で、彼女たちが何を言っているのかさっぱり理解できず、彼女たちもまた私の言うことが理解できなかった。私はどうするべきだったのか、私の何が悪かったのかと、会社を去った後も散々悩み、この日記の中でも書き散らしていますが、ただ同じ場所にいられない人達だっただけのことだと今は思う。

わかってもらえない苛立ち、折り合いの付け所がない会話、交わることのない思い。もし彼女達が変わっていないのなら、私は今も同じ気持ちを持つだろう。無理に合わせる必要もないし私が折れてあげる義務もない。それは彼女達にとっても同じで、私は居心地の悪い存在だろうから、そんな私達が一緒にいてもシアワセにはならなくて生産性もないのだ。

前回「見捨てる」という言葉を使ったけれど、正しい使い方ではなかった。重荷になる人を置いていくことが「見捨てる」という言い方になるのは現実世界だけで、そもそも潜在意識の世界にそんな言葉はありません。『自分の人生の責任を自分でとる』ことが前提なので、見捨てるとか見捨てられるとかという概念がないのです。

たとえば堀江氏なんかもですけど、潜在意識の使い手を見ると冷たく感じる人がいるのはそういうことだと思います。その道の著名人の多くは「なにもせず見守るのも愛」とか「相手の成長の為に一旦離れる(永遠の可能性もありますが)」とか、ふんわりやんわり濁したり、ニュアンスが違ったりしてますけど、ほぼ「見捨てる」派です。基本は「自分」ですから。

あの愛の塊みたいな斉藤一人さんですら、愚痴ばかりの人やデモデモダッテちゃんにはかなり厳しいですからね。変わる気がない人は変わらないのだから、何を言っても無駄ってことなんでしょう。なもんで、たまに批判のコメントがついたりしてますが、波動が違うので仕方ないです。意識のレベルが違いすぎるんですよ、きっと。

 

ところで私は、あの頃と同じような居心地の悪さを今も感じています。ただ私の見ている現実世界ではなく日本という国に対して。ネットニュースや記事は、メサコン達の言い分を代弁したような「被害者意識」で溢れ、それにつくコメントも彼女たちの言葉の複製で溢れかえっている。全く理解できない。

幸い何の変化もない生活を送っている私にコロナがもたらした副産物は、この国の本質を見たことだなーと思う。メサコン達は特別変わっているわけではなかった。私が現実を見ようとしなかっただけだ。もちろん全員とは言わない。だからこそ、今までよく共存できてたなと感心する。

そして私は自分を人生の被害者だと思っていた期間が長く、その原因は毒親育ちだからだと思っていた。ところがどっこい毒親じゃなくても、世の中にはこんなにも「被害者」が溢れてて、なんであなた達は普通の環境に生まれておきながらそんなに「被害者様」なの?つまり生まれも育ちも全然関係ないってことじゃない?って思っちゃったんだよね。なんか”ひく”っていうか馬鹿馬鹿しくなっちゃって。

ということで私は重い荷物を捨てることに躊躇いも罪悪感も綺麗さっぱりなくなりました。もしリアルで私を「冷たい」と言う人がいて、ご要望があればそれについて語り尽くす気は満々ですが、多分理解できないと思うので聞かないで欲しい。メサコン達と同様、話は平行線のままきっと交わらないと思うから。無駄でしょ。