不満

少し前、会社にいる「お金がない」が口癖の人が、自己愛の仕事ぶりについてブーたれてきた。なんでも指示の仕方が悪かったそうで「最初から言ってくれれば良かったのに」とご立腹の様子。うん、自己愛はそういうとこある。今はほとんどないけど、私は何百回も経験してきたからわかる。

ただ、うちの仕事は予測不可能なことが多い。やってみなきゃわからんというやつ。今回はそれに伴って指示が変わったのだ。だからこういう場合は相手が自己愛であっても腹は立たないし、不可抗力だから誰も責められないのね。「それは~だからじゃないの?」と言うと「そっかー」で終わった。いや、納得してないでしょ笑

ちなみに私は二人のやり取りを聞いていなくても、状況をちらっと聞いただけで「あーそれはしゃーないわな」と思える。しかしその人から見れば嫌がらせの類か、ただのどん臭いオッサンにしか思えないっていう。自己愛の日頃の行いと、本人の(仕事に対して)無知さが相まって、目出度く「指示の仕方が悪いオッサン」が生まれたのです。

私の言葉で状況を理解したのかどうかはわからないけど、もしもその人が会社の人に愚痴らなければ、私が「わかるー、あいついつもそうだよねー」と一緒になって盛り上がったとしたら、その日「上司に無茶苦茶な指示されて疲れた1日」が出来上がる。真実でないことが事実として成り立つのだ。人はそれを現実と呼ぶ。

 

仕事に対して不満の多い人は、こういうパターンもあるのではないかね。何度も書いているメサコン達は典型的なこのタイプだった。たとえば2人で2つの仕事をこなさなければならない時、私は絶対に負担の大きい方を選んでいた。自分なりの思いやりでもあり、能力に応じて確実にこなせるほうを選んだ方が後々私のためでもあるから。

しかし私は彼女達と話し合って決めていたのではなく、指示しかしなかった。だから相手から見れば、面倒な仕事を終えて帰ってきたら私だけ楽をしているように感じて、不満を漏らしていたのです。一方の私は、山積みの仕事が綺麗さっぱりなくなっているのだから「見ればわかるでしょ」と思っていた。わからないからといって、それを口に出すのも恩着せがましくて嫌味ではないか。

三者の立場にいる人の中では「優しい私」、メサコン達の中では「意地悪な私」に見える現実はその人達の中で作られていただけ。私はそれを否定もしないし肯定もしない。今は「テメーの作った現実に付き合わされてたまるかよ」とは思うけど。私は他人の世界を変えることはできない。私は、というか誰も、ですね。

人は自分の見たいように世界を見ている。自分の現実は自分が作り出したのだから、たとえ天国でも地獄でもそこで生きるしかないよね。