線を引く

私は今の会社に入った時、共依存者のお守役を仰せつかりました。はっきりと言葉でお守と言ったわけではありませんが、まあそういうことです。なので最初の何年かは慣れない仕事に加え、残業続きでヘトヘトな上に彼女のお守までしていたのだから本当に辛かった。

彼女が具体的に何をし、どんな発言をしたのかを自己愛のように詳しく書いていないのは、あまりにも下らなすぎるというか「あり得ない」の連続だから。

たとえば彼女が誰かと2時に約束をしたとする。すると1時40分位になるとイライラし始めます。そして時間を追うごとにイライラは加速し、50分位には先方に「待ってるんですけど」とキレ気味で電話をかける。今でこそ催促の電話をかけるのは5分前まで延長したが(でもかける)、以前は5分前になると「もういいです!」とお断りの電話を入れていた。

更に理解ができないのは、誰かが同じ状態でイライラしていると「まだ時間が来てないじゃない」と呆れたような言い方をするところ。…何故なのか。ちなみにこの一連の流れは私の母も同じだ。しかも当の本人は約束した時間に不在だったりするのだから、何もかもの辻褄が合っていない。

しかしこの、母が不在になる理由は彼女を見ていて納得した部分がある。優先順位がつけられないのに加え、衝動的に動くからです。上の例えで書くと、1時間程度で済む用事を思い出すのはたいてい1時近くなってからである。かと思えば早々と準備をしておいて、時間になるとすっかり忘れていたりもする。

普通なら来客が帰ってからでもいいし、別の日に回せるならそうするだろうけどそれはできない。周囲からたしなめられて在社を選んだとしても、彼女の頭の中は「待たされた」という意識でいっぱいだからイライラはヒートアップするばかり。そして相手は意味もなく八つ当たりされるという理不尽。

私はこうした流れを近くで見ていて、当事者でなくともイライラしていた。もちろん似たような被害を被っているのもあるけど、なぜ相手の立場に立って考えることができないのか?という疑問が脳内をグルグルと巡るからです。

近年、発達障害者が増えているらしいので、この気持ちは関わった人なら共感いただけると思う。私は障害という疑念を抱きながらもまだ似非弱者と書き続けているのは、障害を持った方全てを指しているのではありません。私が関わっているような人達を見て、相手を選んでいる事、時と場合により我慢ができる事を考えると似非と言わざるを得ないのです。

 

少し前、日本語で境界を表すboundaryという言葉を検索すると、心理学用語にバウンダリーという言葉があることを知った。心の境界線(バウンダリー)を引くということらしい。そして発達障害者は自分と他人の区別がつきにくいという特性を持っている。

自分の考えと他人の考えが同じ。この視点から見ると上で書いた例は「私の状況や思考を相手も理解している(はず)」という所から怒りが湧いてくるのだと思う。(断っておきますが、これは私が観察してそう思っただけなのでただの想像ですし、もとより私は理解を深めようなどとは思っておりません)

関わった人なら~(略)ですが、どこに地雷が埋まっているか予測がつかない。その上、多分本人も何に怒っているのかわからない時がある(認められない)ので、言葉には出さず、威嚇と取れる行動に出たりします。大きな音を立てたり、本人には言わず独り言のように呟いてみたり色々ですが、これが地味にキツい。

こうした経緯があり、私が自分自身のために導き出した答えは『相手が境界を引けないのならこっちが引く』ということです(エーテルコードを切るのはスピ的ですがこちらは意図して線を引く作業)。自他の境界が引けない人を満足させるには、決して大げさではなく四六時中相手の意を汲み続けるしかないのですから。

 

なので現在、私は意図的に他人と境界線を引いている。「アナタが望んだこと」と切り捨てるような言い方になるのはこういう理由です。ただこれを行うにあたり、やはりまず自分自身が感情のコントロールをできなければ、典型的な『自分に甘く他人に厳しい人』になってしまうので、現在地を客観的に見ないといけないなと思います。