配られたカード

前回書いた上司は人当たりも良く、仕事も抜群に出来る。当時の私が憧れていたものを全て持っているように見えた。彼の態度は常に一貫して冷静だったけれど、一度だけ今までにない顔をした事がある。

彼の上得意先の新しい担当者が、彼を担当から外して欲しいと言いだした時の事。そして後任に指名されたのは私だった。社歴の短い私では当然務まるはずもないので適う事はありませんでしたが、その時の彼の目にとてつもない怒りが浮かんだのを私は見逃さなかった。

私は悲しかった。”やっぱり私は認めてもらえない”

以前も書いたかも知れないけれど、当時の私にとってはその会社が最後の賭けだったのです。完全に洗脳されていた私は、こんなに仕事が出来る人ならきっと私の努力をわかってくれるはずだと、そう信じていた。

 

この社長、 この上司、今の上司である自己愛、共通点は人に拒絶されることを極端に怖がっているということ。

今は少し気持ちの形が変わっているけれど、私は人に好かれたいから営業をしているのではありません。売上を上げることが目的で、好かれるのは手段だ。嫌われたくないという恐れは隠し切れないから、足元を見られて自分の首を絞めることになる。

私と、過去に私が認められたかった人は根本的に違う人だとやっと気付いた。私が勝手に作り上げた虚像だったんだ。

もしかして嫌われる怖さを持たないのはとても大きな武器なんではないか。

幼い頃から頼られて(利用されて)、自分は頼りたい時に頼れなかった。だから、他人は面倒くさいものだといつもどこかで思っていた。これまでの私にとって人に好かれる=荷物が増えるということだったから。正確には自分がそういう人を選んだだけなのですが。

だけど私にとっては生きる手段でもあった。学歴のない私でもご飯を食べていけるのは、この武器があったからだと思うようになりました。

人生は配られたカードで勝負するしかない。

私はあの家族から奪われた色々なものの代わりに、武器を与えられたのかも知れない。