愛ある拒絶

先日、例の鬱病の彼と会いました。私は次に会った時、電話を折り返さなかった事を一言詫びるべきかスルーするか迷っていましたが、結局その件へは触れなかった。

後悔はしていなくても、自分の対応が今の彼にとってどう影響するのかが少し気掛かりではありました。一般的に鬱病は周りの接し方によって病状が変わると言われているからです。

 

最後に電話で話した時、彼に「自分を大切にしてください」と言いました。彼は以前の私と同じアルコール依存症です。仕事ごときで心を病む必要はないし、酒に逃げても現実は変わらないどころか更に追い詰められるだけ。そういう意味を込めての言葉だったのですが、そこまで言えるほどの仲ではないのでぼんやりと。

すると既に酔っていた彼からは、短いけれど苛ついたような返事が返ってきた。多分「お前に俺の何がわかる?わからないのに偉そうなことを言うな」と言いたかったのだろう。自分にも経験が多々ありますが、冷静じゃない人間はおかしいよね。わからないと思うなら言わなきゃいいのに。

彼が自分を大切にしなくても私は一向に構わないのです。自分の身体だから好きにすればいいけど、他人を巻き込むのはやめましょうねと言いたかった。彼が酒を飲んで電話を掛けるのは私だけではありません。特に家庭のある人には、夜の長電話はとても迷惑だろうと思う。

 

私が彼を拒否したのは単純に嫌だという気持ちと、もう1つ理由がありました。私は以前の会社に勤めていた時、彼と全く同じ位置にいた。今は離れてしまって会えないのですが私の良き理解者である友人に、酒に酔って電話を掛けた事が数回あります。そして相談という名の愚痴を垂れ流した。

依存していたとは思いたくないのですが、優しい友人に甘えていたのは事実。そして何回目かの電話の時、友人からやんわりと拒絶されたのです。正直とてもショックを受けた。先ず、どうして私の気持ちをわかってくれないの?と思いました。(口には出していません)

それから暫く考えて、私は友人に迷惑を掛けていたのだと初めて気付いた。自分のことでいっぱいいっぱいになって大切な人を傷付けているとは思いもよりませんでした。

(だって私はこんなに苦しいのに)

解決しない愚痴というのは人の不幸が好きな人には好物かも知れませんが、そうでない人にはとても苦痛なものなのだと暗に教えられた。私はそれまで恋人にも咎められたことがなかったので、他人がそんな考えを持っていると知らなかったのです。無知は怖い。

友人は私の味方ではなかったのか、どうして私の努力を認めてくれないのか、私は否定されたのか、と身勝手な被害者意識に陥りながらも、これが「私はこのままでは駄目だ」とAC克服を本気で考えるきっかけになりました。

当時は相当なショックではありましたが、あのまま気付かなかったら私はどうなっていたのかと思うとゾッとします。友人はきっと、それを私に伝えるのは苦しかったはずだ。だけど私を信じてくれていたからこその拒絶だったのだと思う。

 

今、彼の周りにいる人は大人だから拒絶することはないだろうし、迷惑そうなそぶりも見せないかも知れない。けれどいつかは限界がくるような気がする。他人を一方的に支え続けるのはとても辛いからです。

私にはそんな事は出来ないし、出来たとしても何も変わらない。今日も明日も同じ日々が続くだけ。彼の中の根本的な問題を解決しない限り、彼の世界はずっと同じなのです。例え気付かなくても私には関係ないけど、 少しの気づきで彼自身は楽になるはずだと思っていた。

 

久し振りに会った彼は、何があったか知らないけれど少し変わっていました。