価値観が違う人

今月初めに”正しさ”という記事を書いた後、私は鬱病の彼との距離を取り始めました。何かにつけて電話を掛けてきては無駄に長いからです。そして、その間に彼はアルコールを摂取しており、口調がだんだんと変化していく。

ある日、着信に気付かないまま結構な時間が過ぎていたのですが、こちらから折り返す気にはなれなかった。その後は1度着信があったきり掛かってこなくなりました。

私はその事について「人としてどうなのか」とは一瞬考えたものの、罪悪感を感じていない。私達は知り合って数年になるのだけど、特別親しいわけではありません。突然彼のスイッチが入ってしまったのか、急に距離を詰められた感じです。私には彼を支える理由が見当たらなかった。

過去、直接の知人ではないものの割と近い場所で、鬱病により自ら死を選んだ人を数人見ている。そのどれもが突発的なものでした。周囲の期待に応えられない自分を責め、自身のふがいなさを嘆き悲しんだ結果だった。彼らにとっては優しい言葉すらも凶器だったのです。

そういった意味では、鬱病の彼のそれは全く違うものだと思う。まず前提として、私達はお互いをよく理解していない。暴言とまではいかなくても絡むような言い方をされる程の人間関係を築いていません。一方的にこちら側が肯定し続けなければならないような利害関係もない。

私という他人の時間を使い、自分の自尊心を満たす道具にしようとしている。これは私の事を全く尊重していないということです。加えて私を下に見ているということでもある。それは甘えと驕りだ。

自己肯定感が高くなったからなのか本来の気質なのか、私は自分を大切にしてくれない人に時間と労力を使うのが心底嫌いになってしまった。大切にするといっても特別な何かをしてくれることを望んでいるわけではありません。無駄にこちらの精神を疲弊させないだけで充分だと思っている。

彼は何かにつけて「~してあげる」と言うのだけれど、これは”何かをしなければ愛されない”という思い込みからくるものだろう。私はそんなことをして欲しいと願ったことはないので、ただの押し付けで有難迷惑なのですが。

そして「してあげる」の裏には見返りを求める気持ちが隠されている。今の私にとっては、他人の感情を処理することがとんでもなく大きな奉仕です。それに対して彼の贈り物は小さすぎるのだ。全く割に合いません。

私は彼が例え鬱病やACでなくても、彼のような人を好きになる事は絶対にないと思う。「人を大切にする」ことへの価値観が違う人を選ぶ必要はないのだから。