犠牲と努力

最近、距離感がおかしくなった人がいます。少し他の人に話を聞いた所、鬱病を患っているとのことでした。彼は仕事に対して責任感が強く、手を抜くということができないタイプだそうです。他人に頼れず、全てを自分で背負いこもうとしているらしいのですが。

私は以前の会社を辞めた後、鬱病とPTSDに悩まされました。私はその彼の中に当時の自分を見ている。けれど今は全くと言っていいほど彼の気持ちが理解できない。以前の私ならきっと彼を「頑張っている人」だと思えたはずなのに。

当時の私には仕事が全てだった。仕事の中でも売上を上げるという事だけを考え、人間関係やチームワークについて考えたことはなかったと思う。本当は頼りたい、楽になりたいと言いつつも、そうすることが出来ない環境を嘆いてばかりだった。

だけどふと思えば、本当にそうだったのかという疑問が湧いてきた。私は元々他人に頼るのがとても苦手だったのは自他共に認めていましたが、それを克服しようなどとは露程にも思いませんでした。

当時の私は解決策を他人や環境に委ね、自分は常に被害者だった。そして決してその中から出ようとせず、頑張っている自分に酔いしれていた。

今の私は会社の為や他人の為に自分を犠牲にしようとは全く思わない。犠牲と努力は全く別物だと考えるようになったからです。ただ闇雲に努力するだけで結果が良くならないのなら、それはただの自己満足なのではないかとも考えている。

決して会社の為に働くことを否定しているのではありません。会社の為に働かなくても結果的に会社の為になるのならそれでいいんじゃないかと言いたいのです。結果が同じなら「会社の為に」と意気込む必要などないのではないか。

私がこう考えるようになったのは、以前も書いた事務の女性がきっかけでした。私は正直に言うとその女性が好きではなかった。所謂”おひさんにしにし”タイプで、言われた事しかしない。そしてミスも多く、そのお詫びにとお菓子をくれるような人です。

あの女性特有のお菓子のやり取りが私にはとても不愉快でした。男性社会で働いてきて仕事のミスは仕事で返すしかないと考えていた私には、それで水に流そうという考え方が甘えにしか見えず全く理解できなかったのです。 

つづく