犠牲と努力2

そして彼女は、私の最初の印象を「違う世界の人だと思っていた」と今でもよく口にする。考え方が違い過ぎて歩み寄る方法すらわからなかったので、お互いにあまり関わらないようにしていました。

それが今ではこの女性をとても頼りにしています。業務内容が違うので仕事を頼むことは少ないのですが、他の細やかな心遣いにいつも救われている。そして常に「いつでも手助けしますから」というスタンスでいてくれ、いざという時にはありがたく甘えさせて貰っています。

彼女は”おひさんにしにし”ではあるけれど、自分が「手伝いたい」と思う人は放っておけない人だった。私はいつしか、彼女の中で違う世界の人から力になりたい人に変わったのだと思う。同時に彼女も私の中で、頼りにならない人からなくてはならない存在へと変化した。

過去の私は無駄に自分を追い込んだ挙句に、それを無意識に他人にも課していたのだと思う。口には出さなくても態度にはアリアリと出ていただろう。あなたの手を借りても意味がないと考えるような人を「助けたい」と他人は考えるだろうか。

私は自分が頑張る事にしか価値を見出せなかった。「認められたい」という気持ちが強すぎて周りのことなんて何も見ていなかったのです。ただの「努力の押しつけ」に過ぎなかったんだと気付きました。

ACはワーカホリック(仕事中毒)になる傾向があるらしいのですが、根本的に抱えた淋しさや自分の存在意義を仕事に求めた結果なのではないかと思う。自分を犠牲にすることで「わかって欲しい」と周囲に訴えようとしていたのかも知れない。ある意味で自傷行為とも言える。

私はその代償として心を病んだ。人間関係はぼろぼろになり、世の中に誰も見方がいないと決めつけていた。そして休職期間が数年あったために、貯めた金額以上の貯蓄を失うことになりました。

誰かが抜けても会社はまわる。その後かなりの赤字を出したそうですが、存続するためには金に糸目を付けなかったという。赤字が許されるなら私はそこまで働かなくても良かったのに。

何より助けを求められる環境を自分がつくれなかったんだ。力で人は動かないと知りつつも、無言の圧力を掛けていたんだと思います。