パラレル

続き。

私が”たまたま”だと思ったのは、その人が非常に理解しづらいマイルールを持っているからだ。「なんでそんな必要が?」と言いたくなるけど、とにかくそういう人なのである。

そして彼女は「自分を優先してもらえなかったこと」に対して怒っておられて。もちろんはっきりとは言わない。相手の人間性へ話を摺り替えているが、結局のところそういうことらしい。

数日後、再び同じ機会がやってきて、今度は彼女が優先されたようだった。なるほど。やはりその人には独自のルールがあり、自分なりに公平を期しているつもりなのだと確信した。

「私はたまたまだと思うけどなー」と言った時、彼女は「1回だけならそう思うかもしれないけど、もう2回目なんだよ?」と少し語気を荒げた。

年に数十回もある機会の中でたった2回。それは故意といえるのだろうか。自分が優先されたなら、優先されなかった人がいるってことだけど。それではダメなのか。それとも、知らなければ見えなければいいのか?

 

彼女は昔の私だ。思考を捨て、意識で生きることに慣れつつあった私は、こんなにも世界が違うことに驚いた。同じ場所に並行して全く違う現実があるのだと。

自分を優先してもらえなかったこと、つまり「自分を軽んじられること」への憤り。過去の記憶がありもしない現実を創り出した瞬間を見て、私の認識は大きく動くこととなったのです。

 

私はあれ以来、大抵のことには心が動かなくなった。

許しは最高の自愛だ。

未来の自分のため。