あけましておめでとです。
あれから更に家電や小物を刷新したお陰で清々しい新年を迎えられた。部屋の波動が軽いような気がする。
ところで、結局アセンションはどうなったのか。
私が体感的に思うこと。三次元は思考で五次元は意識なのかもしれない。昨今、繊細な方が増えたが、ワタシから見るに繊細さんは思考の人である。思考と感情の奴隷なのだ。
とはいえ三次元的には「優しい人」なのかもだし、繊細さんが悪いわけじゃない。あくまで”五次元の人ではないよな”ってだけだ。
年末に書きたかったことを書く。
1か月と少し前、久々にドーンと落ちた時、私の波動が下がったのを見計らったように、しばらく鳴りをひそめていた会社の人の愚痴が再開した。
それはすごくすごくしょうもない内容で。本人曰く「意地悪をされた」と言い張るのだが、仮にそうだとしても何も奪われてはいない。時間も労力もなにも。
そもそも、どう考えても「たまたま」としか考えられなかったのでそう言うと、最後に「私もこんなことを気にしない人間になりたいわ」という言葉で締めた。どちらかといえば捨て台詞っぽかったが、スルーするしかなく。
三次元的にはそうなるのだろう。それが人間の幅を広げる努力であり、成長への前向きな考え方だと教えられているから。
しかし五次元的には最初から「そんな事実はない」のである。ここ重要。自分が創った世界の中で、”変えなければならない自分”を作り出しただけのこと。架空の事実ありきの中にいればそう考えるしかないのだろうけど。
本当は「変わらなければならない自分」なんてどこにもいないのに。
そして、想いは重いのだ。