ゾウの話

すっかりツインレイのことから離れ切っていますが、私はIさんの事をツインレイだと今も思っています。そうでなくても構わないのだけど。

ツインレイの男性に出会うと女性は綺麗になると言われています。それは、ツインレイ女性が使命や役割に気付き、自分軸で生きる(!)ようになるからとか、過去のトラウマと向き合い、解放される(!!)からとか書いてありました。

そして、自分の中の女性性を受け入れ、自然と女性らしい振る舞いができるようになった結果→モテるという説があるのです。私はツインレイかどうかはわかりませんがモテます。というか最近モテるようになりました。

その中の一人が先日書いた鬱病の方なのですが、若干依存されかけているという印象を受けます。もしかすると彼は依存先を探している最中なのかも知れません。

きっと以前の私なら、付き合う事はなくても彼の辛さや努力に共感していたと思う。知人として彼を救う為にできることはないかと頭を悩ませていたかも知れない。けれど今は全然そんな気になれない。自分を救えるのは自分しかいないと理解したからです。

「誰かの為に」と、間違った方向へ頑張っている人の本心は、結局自分が救われたいのだと思う。自分を犠牲にする代わりに絶望の淵から救い出してもらえるのを待っている。

例えば彼と付き合ったとしたなら、私は感情の捌け口になるだけだろう。いかに自分が正しいか、いかに周りが間違っているかという会話が繰り返され、肯定だけを求められる。「なら、その努力はやめちゃえば?」などと言おうもんなら烈火の如くキレ始める。これは想像ではなく、既にこうした片鱗が見えています。

これは過去の自分でもある。そこから這い上がろうとしていた当時、「鎖につながれたゾウ」の話を読んだことがあります。小さい頃から片足を鎖で杭に繋がれたゾウは、大きくなっても逃げないというお話です。

子供の頃に「自分には抜けない」のだと諦めてしまったゾウは、引き抜く力がついても自力で抜こうとしなくなるのだと。刷り込みや思い込みは怖いっていう話なのですが、これと同じで渦中にいる時はその世界が全てだから「簡単に抜けるよ」という言葉は耳に入らないのです。

潜在意識は今の状態を保とうとしますから、救い出して欲しいと切望しながら、自分を変えようとはしない。現状維持する辛さより、努力をやめることの方が遥かに怖くて辛いのです。力の大きさでいうと「今の状態を望んでいる」ということになります。

仮に周囲が彼を認めていたとしても、「認めてもらえない」という気持ちを変えるのは難しい。私にとってそれがIさんだったように、きっかけとなる存在には出会えるかも知れないけれど、自分を変えるのは自分しかいないのです。

 

彼のいる世界は過去の私がいた場所で、今の私が望む世界は違う場所だ。少しでも情けをかければ、私はまた過去に戻ってしまうような気がしてなりません。だから彼には申し訳ないけれど、私は同情もしないし共感もしない。

しかし、なぜ今このタイミングなのかと思う。神のお試しなのかな。