心変わり

私がIさんを嫌いになることがあるのだろうかと、すっかり単語すら出てこなくなったツインレイについて改めて調べてみた。

普通にあるらしい。というか嫌いになるのが当たり前だとか書いてあった。嫌いな部分をも愛せるかどうか試されているだの、辛くなって離れた後に統合するだの色々と。統合というのは魂の結び付きを指しており、決して現実世界で結ばれるとは限らない。

ツインレイは近年統合する人が増えているらしく、私が知った頃よりも明らかに記事の数が増えている。一昨日それらを流し読みしていたのですけれど、現実世界で結ばれないかもしれない愛にどうしてこんなにも憧れている人が多いのかと思ってしまった。

互いに自分軸で生きて無償の愛で結ばれ、社会に貢献することが使命だといわれるツインレイ。私はここへきて「それって楽しいの?」とか考えてしまいまして。そもそもIさんがツインレイだという確信もないし、もしかすると偽ツインレイだったり、そのどちらでもない可能性も大いにあるのだけど。

元々ツインレイは簡単に上手くいかないもので、互いに魂を磨きながら何かしらの問題を乗り超えた先に崇高な世界に辿り着くらしい。その途中に相手が辛くなって恋人を作ったり結婚しちゃう場合もあったりして、それでも相手の幸せを願い、最終的に魂で結ばれて目出度く統合。

本当はもっと複雑らしいですが、ざっくり書くと私のイメージはこうだ。もう一度書きますが「それって楽しいの?」と思う。会いたくても思うように会えない、それでも待ち続けるような元彼とのお付き合いみたいな恋愛なんか嫌だ。私は今ここで、三次元で生きているのだから。

ツインレイはランナー(逃げる側)とチェイサー(追う側)に分かれるそうで、ランナーは過去のトラウマ等からチェイサーの愛を受け入れられずに逃げる。チェイサーは自分のエゴと戦いながら愛を注ぎ続けることで、ランナーが心を開いていくというような事がよく書かれています。

ランナーが求めているのは『心の平穏』なので、『無償の愛』を注げるように努力しましょうと。この2つのワードは元彼が度々口にした言葉です。元彼がツインレイだと言いたいのではないし、そうであっても願い下げだ。だって私自身は全く満たされていなかったんだし。

ツインレイはもう一人の自分。統合すると魂の最終段階なので、二度とこの世に生まれることはないと言われています。そしてツインレイと出会ったとしても、自分の意志で統合を拒み、来世を生きる選択もできるという。

 

私の日常は昨日から戻りつつあり、今日は完全に復活しました。私は今、生きるのが楽しい。だからそんな修行みたいな恋愛はしたくないし、崇高な存在にならなくてもいい。離れていても通じ合うとか、そんなものに何の意味があるのか、とすら思ってしまう。

数日後はまた変わっているかも知れませんが、今はそんな気分だ。この心境の変化の理由はよくわからない。