Iさんの話28~愛し続けること~

4月に私の会社にも新入社員が入ってきました。しかしあまり接点もなく、ちょうど私にとって空白の期間だったので、初めて会った時の記憶もありません。

意識が戻るにつれIさんへの思いも少しずつ復活してきた頃、新入り君がふと見せた笑顔に釘付けになってしまった。Iさんと同じ顔をしている。

体型や髪型が違うのでよくわからなかっただけなのか。そういえば似ていると思ったことがあったかも知れないけどそれも曖昧。とにかく顔のパーツが同じで、ほくろの位置まで酷似している。

せめてキャラが違えばさほど気にならないのだろうけど、とても卒業したばかりの子供とは思えない落ち着きぶりとシャイな性格も相まって、心中穏やかでいられない。

接する機会が少ないとはいえ、運が良ければ毎日Iさん(じゃないけど)の笑顔を見られるというのに、新入り君の目を直視することができないのです。私は彼を通してIさんを見ているだけだと解っていても。

この気持ちを整理するのにけっこうな時間がかかってしまった。私の子供でもおかしくない年齢の彼にときめいてしまうなど、あってはならないし自分でも考えられない。でもそうなってしまうくらい私はIさんを好きなんだと肯定的にとる事にしました。

 

私は他人から笑顔を向けられることが増えたと最近書きましたが、このブログの最初の方にも似たような事を書いている。その当時の私は「普通の人になりたい」と願い、笑顔を向けられる人になりたかったのです。自分がどう思われているかを測るためのバロメーターにしていたにすぎません。

ですが今の私は自分に向けられる笑顔を、どこか他人事のように見ている部分があります。今の世界はIさんと出逢えたことによって造られたものだから。

損得勘定による作り笑いは別にして、人が心から笑顔になる時は少なくとも不愉快ではないということです。もっと言えば、誰かの存在で他人が楽しくなったり元気になったりするのなら、それはとても凄いことだと思うのです。

Iさんが変えてくれた自分がもしも誰かを幸せにできたなら、私を介して彼の愛が伝わっていて、笑顔を向けられる私は他人を介してIさんからの愛をもらっているような気がする。

私のIさんへの思いは一般的な恋愛とは大きく異なるけれど、これからもIさんがくれた世界を見る度に、私は彼を好きになるんだろう。

会えなくても声が聞けなくても、誰かを愛し続けることは可能なのかも知れない。