お金に罪はない

短い間に私にしてはかなりの数のジュエリーを買ってしまったけれど、欲しかった物をセールや売り切り価格でお得に購入できた事と、そのあと金相場の上昇により軒並み値上げされた事を考えると良いタイミングだったと思う。素直に嬉しい。

私はあの子に会ってからほとんどトレードをしていないし、興味が湧かないのでチャートすら見ない日の方が多い。なので過去のわだかまりが無くなったからといって収入が増えたという事もありません。

ただ「自分は何も手に入れられない」という呪縛は解けたような気がします。無意識の思いは、どんな場面でも意図せず浮き上がってくる。「ツイてない」と感じる時は赤信号までも忌々しくなるように。

それはどんどん積み重なって、無意識の部分をより強固にするのだとわかっていても、自分の意思では変えられなかった。今はそうした思いは消え、わざわざ関連付ける事もなくなりました。

あの子の出現によって、私の思考はシーソーみたいに逆方向へ傾いた。負の感情を持つ事がとても疲れるのです。目の前の出来事と過去を紐付けるのは無意味で、絶対に良い結果にはならないと理解できたからかも知れない。

 

私はお金に復讐していたけれど、今となっては何て馬鹿馬鹿しい八つ当たりをしていたんだろうと思う。「お金に罪はない」この言葉を聞くたびにモヤモヤした気持ちを感じていた頃が信じられない。

お金に意思はありません。スピ系での”お金は自分を大切に扱ってくれる所へいく”という考え方には概ね同意するけれど、現実にはただの”物”です。そしてお金を使えるのは人間だけなので、結局”人”の問題だったのです。

私が欲しい物を手に入れられなかったのは家庭が貧しいせいではなかった。兄弟は物を買わせることで親の愛情を試していた。母は家族がバラバラになってしまったのはお金がなかったせいだと、多分今もそう思っている。父はお金さえ与えれば母は変わってくれると信じて命を削った。

お金で買えない物ばかりを望みながら、お金が欲しいと嘆く歪な家庭だった。誰もが何かのせいにしたかった。それがお金だったんだろう。

1年前の今日、私は”なぜお金が嫌いなのか”という日記を書いています。 その時は答えが出なかったけれど、私はお金に振り回される家族が大嫌いだったんだ。そして家族の問題をお金の問題にすり替えて目を逸らしていただけでした。

今は「お金が人を変える」のではなく「人がお金で変わる」のだと思っている。そして本質的な問題をお金で解決することはできないのだとも。