試練

人は現世で何かを学び、輪廻転生を繰り返して魂を成長させるという説を信じている。神が試練を与えるのは魂の成長のためなんだろうと、そう思っています。だから”乗り越えられない試練しか与えない”と言われるのでしょうが、できることなら毒親だけは勘弁して欲しかったな。

スピリチュアルの世界では、我が儘な人や悪い意味で幼稚な人は魂の年齢が低いとされています。私の母と兄弟はここに入ると思う。そして父は死ぬ間際に何かを悟ってあの世へ行きました。

私の母は子供が大きくなっても親である祖母に依存していた。親には「私は子供だから面倒を見てもらって当たり前」で、子供の私には年齢を問わず「子供は親の面倒を見て当たり前」だと本気で思っている人だった。旦那である父は言わずもがな。

今振り返ると、一番大きな依存先であった祖母が亡くなった後から母の異常行動は更にエスカレートしたように思う。

私は母のせいで退社を余儀なくされたこともある。それがきっかけで距離を置くことができましたが、同居の父はそういうわけにはいきません。身体的暴力の有無はわからないけれど精神的な暴力はとにかく凄まじいものだった。

健康で弱音も吐かなかった父はある時期を境にして一気に病に見舞われ、医者が驚くほど内臓はボロボロになっていました。あまり前例がないとされ、死後に病理解剖の承諾をお願いされたくらい。それほどの精神的暴力を受けながらも「母はいつかわかってくれる」と信じていた。

私は物心ついた時から母の嘘を見抜き、狡い人だとわかっていた。だから大人である父が本気でそう信じていることが私には信じられませんでした。面倒だからなのか理由は謎だけど、信じているフリをしているのだとばかり思っていたから。

そして余命僅かになって、これっぽっちも愛されていないことに気付いたのでした。ただのATMどころかゴミのように扱われてきたことをやっと認めることができたのです。依存を愛だと勘違いした末路がこれだ。

私の前で子供のように号泣した数日後、父は亡くなった。

父は強かったんじゃない、弱すぎたんだ。父の試練は「自分の弱さに気付くこと」だったのだと私は思う。次は母のような人を選ぶことはないだろうから、それだけは安心しています。

 

”子供は親を選んで生まれてくる”と言いますが、私は選んだというより行き先を決められたと思っている。私にとってはこの両親の元に産まれることが試練だったんだろう。

この世には自分にとって絶対に選んではいけない人がいる。そして自分を愛せば選ぶべき人を間違えない。

それに気付くためだったんだと考える今日この頃です。