ハラオチ

先月、ぎこちなくなってしまった会社の彼女とは、表向き何事もなかったかのように過ごしている。微妙に以前と違うのは、私が彼女に意識を合わせなくなったことだろうか。彼女が愚痴を言う回数は極端に減ったのだけど、言う出来事がないだけなのか、言わないようにしているのか、それすらもわからなくなってしまった。

会社での私は目と耳の届く範囲に限り、大体のことを把握している。自己愛は顧客との電話で「はい、例の件ですね。△を▲に訂正した見積りですね。わかりました。」とか言って電話を切るなり「(私)さん。そうらしいから。」と突然、私に振ってくることが多々ある。私が自己愛の性格に合わせているのではなく、私が聞いているから自己愛はこうなっているのだ。

もちろん他人の会話も聞いているので、自己愛が彼女に指示している内容も理解している。彼女はそれを承知の上で、後からこっそり私に聞き直してくる→私が補足する、なんてこともよくありました。彼女とぎこちなくなってしまったのは私のせいだ。彼女を甘えさせ、愚痴を言いやすい空気を作ってしまった私に全ての責任がある。

だから自分に必要のないことは聞かなくなった。とはいえ内容を聞いてから要不要を決める必要があるので、脳内の処理は増えている。本当は全部取り込んでしまったほうが楽なのだけど、「そのうち慣れてくるかな」と思いながら選別をし続けてきました。その甲斐あってか彼女に使っていた労力はかなり減り、楽になったような気がします。

『過去と他人は変えられない。変えられるのは自分だけ。』は真理だ。(過去も変えられるらしいけどね) だけど自分を変える時、結果を期待しないほうがいい。特定の対象との関係を良くするために自分を変えようとするのは、相手を変えようとすることと同じではないかと思ったりします。

彼女との関係においても「彼女を許せる自分になる」という選択肢だってあったのです。でもその選択はしなかった。それを選んだとして、ぎこちなさは改善できても根本的な問題解決にはならないから。もちろん彼女は私の態度に不満を感じるかもしれないですが、私はそれでもいいと思いました。

人生は日々、選択の連続です。自分の選択によって見合った結果がやってくるだけ。本当にただそれだけなんだな、って気づいた。ハラオチすると結構面白いです。私は常に自分の「好き」を選択できる自分でありたいなと思う。ちなみに以前の私と今の私となら今の私のほうが好き。

結果を受け入れられる覚悟さえあれば、人はもっと自由になれるはずなんだよ。