賛辞

少し前、所用で昔の彼氏に会った。私の暗黒時代を知り尽くしてる男。私達は今でも繋がっているけれど、もちろん恋愛感情などはなく、私からすると限りなく家族に近い他人といった感じだ。でも彼は私の本質を知らない。だって見せていないから。

その人のことはここでも何度か書いた。依存して迷惑を掛けたとか、そんな内容だったと思う。それがねぇ、相手にとってはさほど迷惑ではなかったようでね。私と居た頃が一番輝いていたと、男は言う。わがままな私に尽くすことは彼の喜びでもあったらしい。そのために頑張って働き、金を稼ぐ。私はいわば活力の源だったわけだ。

とはいっても、彼の「必要とされたい」欲求に、一部分のワタシが答えただけである。当時の私は彼が押し付ける「幸せの形」で幸せを感じたことなんてなかったんだもの。大人になった私は、昔話に湧く彼の話を微笑みながら聞いていた。あなたは幸せだったのね。それはなによりです。

その頃の私達はお互いに自分のことしか考えていなかった。「お前のため」「あなたのため」と正しさを押し付け合って、理解しようなどという気なんてサラサラなかったように思う。別れて十数年が経って、やっと彼を直視できるようになった気がする。それは相手も同じで。

私達は長い間、交際当時の話をしたことはなかったんですけど、それが突然過去に引き戻されて困惑。その人と私は少々年が離れているゆえ、より死に近付いたからそんな話をしたのかな。昔の彼氏といいNさんといい、こんなタイミングで一度に時代が巻き戻ったのはなんの意味があるんだろう。わからん。

 

>幸せを感じたことなんてなかったんだもの。

それは嘘じゃない。その時は本当にそうだったのだ。だけど今は幸せだったんだと思うよ。どう感じたかは置いといて、多分幸せだったんだよ。

人生を折り返して死に向かう人に対して私ができることはなんだろう。生きた証として何をこの世に残せたか、そういうことに多少は思いを馳せたりするんじゃないですかね。わかんないけど。最高の賛辞は「生まれてきてくれてありがとう」とかじゃない?やっぱり。わかんないけど。

別れ際、彼は決まって「またご飯食べに行こう」と言い、私は頷くが、その約束が果たされたことはない。そういう挨拶なのだ。でも今度は本気らしい。その時は「幸せだった」と伝えよう。

だってそうでしょ。今の私のシアワセは過去からの延長なのだから。きっと、どんな瞬間も私はシアワセだったのだ。