繋がっている

落ち込む前、「先に幸せになっていい」という言葉が気になりつつも納得できずにいた。『~になったら幸せ』という条件をすっ飛ばして、今幸せになるということらしいのですが。

全ての願望から解放された(かに見える)後、何となくその意味がわかったような気がした。願望が叶うか否かは別として、幸せになることは出来る。正確には幸せな気分でいられる。そこで畳み掛けるようにシークレットに出会った。

シークレットは私にとって特に目新しい内容ではありません。これまで色んな方が言葉やニュアンスを変えて説明していることばかりです。『思考は現実になる』望んでも望まなくても、意図しても意図しなくても、思考が現実を引き寄せる。

そして思考をいい方向へ持って行くために感情を観察し、いい気分をキープするというシンプルなものです。いわゆる”感情の先取り”や”感情ナビゲーション”と同じだと思いますが、この辺りを私は全く理解していなかったのです。

私には今、願いがありません。失望とも取れるかも知れませんがゼロと言った方が近い。相変わらず無気力に生きてますけど穏やかに幸せではある。その上で、自分のいい感情だけに従って生きていけるかどうかが知りたい。

 

前回、共依存者の事を書きましたが、彼女だけではなく他人との関わり方が自分の中で大きく変わった。誰に対しても「この人は幸せなんだ」と思うようになりました。認めたくはなかったけれど、自分の人生は自分で選んでいるという認識が深まったからかも知れない。

自分がそうであるように、その人生を選んでいるのもその人だということになる。無意識の思考が現実になるのなら、思考を変えない限り人生は変わらない。そして他人を変えることは出来ないのです。

先日久しぶりに鬱病の彼から連絡があって、初めて自分の口から鬱病だと聞いた。そしてありがちな身の上話や不遇について延々と語られたのですが。シークレット的に言えば、そうした思考を持つ限りそれは繰り返される。

一応断酒を勧めてみたものの、軽くキレられた。多分「お前に俺の辛さがわかってたまるか」とでも言いたかったんだろう。この時点で彼は現状を変える気は全くないのです。仮に私が耳触りの良い言葉を掛けたとしても、彼は今の現実の中に居続けるだろう。『自分で望んで』

鬱病は不幸か。不遇な環境は不幸か。どう捉えるかは勝手だけど、もし自分を不幸と考えるのなら、そのエネルギーの中に他人を引き摺り込む行為が他人をも不幸にしている。

私は彼の話を聞きながら、今の彼を利用するのは簡単だと思いました。もしもズルい人間なら彼の表向きの欲求を満たし、簡単に堕として骨の髄までしゃぶり尽くすことができるだろう。幸せな人を遠ざけ、不幸にする人を寄せ付けてしまう原因がわかった。

こういう視点で他人の思考を観察していると、全ては繋がっているのだと実感する。