時間の概念

頭に浮かんだことをすぐ実行するようになってから、小さなラッキーがとても増えた。たまに「ん?」と思う時もありますが、「大丈夫、全ては上手くいっている」と気持ちを切り替えていると想像を超える方法で解決したりします。

こうした経験が積み重なると時間の概念が変わってきました。今こうしてブログを書いている間も、書き始めた時は未来に向かっており、文字を打つ度に既に過去になっている。『今』は1秒前からの未来で、同時にさっきの今は過去でもあります。だから過去も未来も今にしかないと思うようになった。

1秒前を過去だと認識している人は少ないと思われますが、だいたい人はどれ位の期間を過去と呼ぶのか。引き合いに出して申し訳ないけれど、最近某芸能人がスピード再婚したことについて批判を目にする度に、(子供云々は置いといて)どのくらいの年数なら世間に許されるのか、とつい考えてしまう。

そもそも他人の事情など当人達にしかわからないのだから、別に世間に許されなくてもいい。ただ早い遅いの基準はどこにあるのかという疑問が湧いてくる。再婚に限らず別離全般、もっと広く言えばあらゆる過去の出来事から立ち直る時間と思いの強さはイコールにはならないんじゃないか。

死別だと仏教の場合は喪の期間があるので忌明けを待つ形になるかと思うけども、それでも世間は批判の声が多いと思う。逆に「もういい加減に」と言われる年数が経っても新しい人生を選択しない場合は打って変わって美談になりがちだが、愛の深さ=時間は本当か?

そして怒りや憎しみといった感情にも同じことが言える。私も少し前まで親への憎しみを数十年抱いており、私自身も時間の長さ=感情の大きさだという認識を持っていた。けれど今は1秒前も20年前も同じ過去だと認識している。○年掛かってやっと忘れられたというのはただの自己満足だと思っています。

俗にいう切り替えの早い人は短絡的でも冷たいわけでもない(もちろんそういう人もいますが)。多くの人が数年掛かる所を圧縮しただけではないのか。そしてそうする方法を知っているだけのことではないんだろうか。

こうした思考を持ち始めて、様々な事柄に心を動かされることが極端に減った。1分間誰かを憎むも10年憎むもたいして意味のないことだと思うからです。正確に言えば後者は過去の中で生き続けるのだから当人にとっては大きな損失だけれど。

自分は誰かに苦しめられて生きているけど、その誰かは何事もなかったかのように楽しそうに生きているのが悔しいといった例はよく目にする。感情だけでいえば当然腹立たしいし、それが更に恨みをつのらせる結果になるでしょう。

だけど。きっとその誰かは『今』を生きてるだけなんだよね。