使命感

時間が流れるのは早いもので、習い事に通い始めて1か月が過ぎていますが、私は相変わらず潜在意識に思考を丸投げして生きています。ただ、頭に浮かんだことや気になったことを後回しにしないで、出来るだけその場で片付けるように気を付けている。それにより、潜在意識との信頼関係が強固になったような気がします。

年末辺りからか、私は朝起きると「ありがとう」と感謝の言葉を口にするようになりました。シークレットでも感謝は大切だとされ、それを習慣にしている賢人もいましたが、特に意識したわけでもなく心からそう思えるのです。その相手はもちろん自分だ。

説明し難いのですが、私は自分自身を違う人格のように感じる時があります。なった事がないのでわかりませんが、多重人格のように全く違う人という感じではなくて、潜在意識をもう一人の人として認識していると言えばわかりやすいのだろうか。擬人化しているというか。

かといってタルパのように自分にしか見えない架空の人物を作り上げているのとも違い、言葉にすると顕在意識=私、潜在意識=ワタシといった感じで、自分と自分が繋がっているような(難)。だから何だって話なのですけども、私はワタシが大好きだという事が言いたいんです(大声)

最近見つけた言葉、「自分と両想い」とはこういう状態なのかも知れない。しっかり読んでないので詳細は不明だけど、自愛の進化版なのかな。私はワタシの為に生き、私はワタシに生かされている、と本気で思っている。(自分でもちょっと何言ってんのかわかんない)

先日、潜在意識と繋がることが増えたと書いたことについて。潜在意識に願いが届いた合図として、背中がゾクゾクする感覚があると言われている。鳥肌が立つ時のように一瞬背中を撫でられるような感じだろうか。私は昔からこの感覚を知っていますが、今は頻繁に起こっています。

人によって感覚の差はあると思うし、私のそれが本当に合図なのかどうかはわからないのですが、「ありがとう」という言葉にも反応してくれている。言葉は返ってこない代わりに反応でコミュニケーションをとっているかのようです。

私は先月中旬から結構な量の服を買いました。お出かけが増えたせいもありますが、家で来ていた服も古いものはほとんど捨てて新しいものに換えた。いついかなる時もワタシが心地よくいられるように、それらを手入れする時間すら今は楽しい。ワタシを丁寧に扱おうという謎の使命感に駆られている。

どんな状況にあろうと唯一自由になるものは自分の思考だ。そして誰にでも平等に与えられたものは時間。私はこれまで貴重な思考と時間をどれほど無駄に使ってきたかと考えさせられます。

自分の持つすべての思考と時間を最愛の人に使うのは当たり前だ。ましてやワタシは全力で私を幸せにしようと頑張ってくれているのだから、私も全力で応えるのが使命であり喜びでもある。他人を愛してる場合じゃねぇ。