満たされることの味気無さ

ここしばらく朝起きるのが辛い。というか一日中起きているだけで辛い。クローゼットの中身が刷新され、購買欲が収まった途端に燃え尽きてしまったようです。感覚的には以前の会社を辞めた時の状態とよく似ていると感じていたのですが、この感覚は以前もありますね。

日記を遡って確認すると私は昨年の年末辺りまで満たされた廃人でしたが、一転して満たされた人になり、再び満たされた廃人へと戻ったようです。今月頭に水星が逆行を始めた事と関係があると思わざるを得ないタイミングだ。

水星逆行は一般人の方でも注意を払うほどメジャーな出来事みたいです。交通機関の乱れや通信障害、意思の疎通が上手くいかなくなったり人間関係にトラブルが起きやすいとのこと。スピ的には過去に戻る、やり直しや見直しを迫られるといったところだろうか。

私はいつからか潜在意識について考えることがなくなった。「とりあえず上手くいく」これが正解かどうかはわからないけれど、上手くいっているんだと思う。結構な買い物をしてしまったにも関わらずタイミングよくお得に買えたり、欲しい情報が勝手に飛び込んできたりすることも当たり前になってしまったからです。

しかし、この当たり前が私にとってはつらい。何かを手に入れようともがき苦しんでいる時の方が生きている気がするからだ。今の私は物も人も必要ならば手に入り、縁のないそれらは自分にとって必要ではないんだと考えている。つまり望みがないということです。

私は何かに目標を定めると知り尽くしたくなるのですが、その対象は長年潜在意識でした。ACからも解放され、ここで散々書いてきた悪しき思考達はかなり克服されたように思う。しかし結局潜在意識はどうすれば使いこなせるかという事については明確な答えが出ないまま興味が失せはじめています。

そして思考の流れが速い。何かを買い到着するまでの間にすっかり過去になってしまって、手にしたときにはときめきすらないという有り様です。以前、買う事が目的になっていて手にした途端に興味がなくなるといった悩みを持っていましたが、そういうのでもなく手にするまでの間に喜びが消えているんだ。この世の何もかもに重要さを感じない。

なんとなくだけど人間の思考は宇宙のようだと思う。綺麗になりたい、お金持ちになりたい、人から賞賛されたいとヒトの欲求にはキリがない。それらはどの段階で満足と言える所へ辿り着くのか。きっと終わりのない人もいれば終わらせることが出来る人もいるんだろう。

今の私は思考が停滞しているのだとわかっています。しばらく経てばまた新たな何かを見つけることになるのでしょうが、もう以前のような感覚には戻れないかも知れない。何を持って満たされるとするかは自分が決めることだからだ。外部からやってきたものに満たされているわけではない。そこが既に思い込みであり、そう信じているだけ。

私はもう満たされている。これからは満たされた私が、満たされていない自分を生みながら満たされることを探して生きていくような気がしている。クソゲーだと言いながら無意識に願望実現ゲームをするのをやめて、クソゲーをすることに楽しみを見出すような。(クソゲーというのはかの方が仰ってたままです)