上手くいく

6日は今年初めての新月を迎え、日食と重なることで死と再生を意味する大きな転換期となったようです。それに加え7日には天王星の逆行が終了し、3月まではすべての星が順行するという、とても良い流れで新年がスタートしたみたい。

先月中旬から急に生活のリズムが変わってしまった反動か、お正月はダラダラと過ごしていましたが6日辺りから再び気力が湧いてきた。

私は一昨日やり場のない高揚感ををどう処理してよいのかわからず、仕事帰りに1時間ほど高速をドライブしてきました。少し落ち着いた所で一旦家に戻り雑用を済ませ、準備をして習い事へ出掛けた。2時間で帰宅し、1時間半ほどの間にシャワー・洗濯・晩御飯・お肌のお手入れを済ませて寝た。

おそらく普通の人にとっては当たり前の生活だと思いますが、これまでの私には考えられない行動力です。仕事ではフットワークが軽い分、家ではなるべくダラダラしていたい私が衝動的にこんな事をすると数日は動きたくないほど体力を消耗していたはずだ。だけど昨日も元気に5時半に起きてお弁当を作りました。

 

私は長年共依存者の嫌がらせに耐え、2年弱の間自己愛によるパワハラに悩まされてきた。顧客に受け入れられやすいという、学歴も資格もない私が唯一持っている武器が経営者側にとって何のメリットもなく、寧ろ不愉快に感じるのなら自分がここにいる意味はあるのだろうか。

双方にとって意味がないのなら私は辞めた方がいいんじゃないか、とずっと考えていました。これまでの私ならとっくに辞めていると思う。だけど今の人間関係が自分の過去から来るのなら、清算しなければきっと次も同じような悩みを持つことになりそうな気がした。こうなってみて私は辞めなくて良かったと思っています。

習い事に行き始めてから自己愛との関係も変わりました。客先に向かわなくなった私に彼がお願いをしてくるようになった。そして私は反抗もせず受け入れている。一見上手くいっているようにすら見えますが、私の中ではもう彼は上司ではありません。同じ空間に属している他人という位置付けだ。

離婚した某芸能人の元奥さんが「別れた方が良い関係」と言っていましたが、私も過去の恋人でそれは経験している。恋人という役割を求めなければ相手に期待をしなくなる。自己愛も同じように経営者側の上司だと思うから腹が立つんだろう。親や友達にも同じことが言えるのかも知れない。

私は最低限の仕事をし、他の時間はネットで買い物をしたり、アクセサリーの手入れをしたりして過ごしている。パーテーションで仕切られているので見えませんが、別に見られても構わない。もし咎められるような事があれば、なぜこうなったのかを時系列に添って淡々と説明するつもりだからです。

こんな感じで、私はお給料をもらうために体だけは会社に拘束されているけれど、割とフリーダムなサラリーマン生活を送っている。自己愛のパワハラがなければ今の自由はなかった。そして精魂共に使い果たして毎日が終わる、社畜の鏡のような自分を思い返すとつくづく馬鹿だったと感じています。

今の私は会社ごときにエネルギーを使いたくないのだ。これでいいのか?なんてもう思わない。全ては上手くいっている。