全面降伏

この世に生まれるのを望んだ記憶はないんだけど。とりあえず、生まれたからには死ぬまで生きることになります。

『生きる』とはこの世に属するってことであり、幸せになるのが義務だとしたら。会社に属した以上、それなりの仕事をするのが義務だと思っている私は、『幸せ』こそがあるべき道としか思えなくなってしまった。義務は果たさなければならぬ。謎の使命感。

 

私が仕事に限り潜在意識を上手く使えているのは、本心の望みだからだと思う。大きなお金が動く時、相手だけに利を与えても、こちらだけが利を得ても駄目だ。双方が繁栄する道は必ずあります。その信念だけは絶対に揺るがない。

しかし仕事以外では顕在意識の我や欲が入ってしまう。本心では望んでいないものを望みと勘違いしたり、逆に本心では望んでいるのに蓋をしてしまったりで上手くいきません。どうやっても潜在意識には抗えないのだから、いっそ顕在意識で願わないほうがいいのではないかという結論に達し、全面降伏へ至ったのでした。

以前も手放しというか、丸投げー、お任せーになったことがありますが、再び潜在意識を支配したいという欲に駆られてしまったので、完全には諦めていなかったのだろう。もしかすると、今も一時的なものかもしれませんが、その時はまた藻掻けばいいかなと思っています。

余談。顕在意識(潜在意識を変えないまま)で現実をコントロールすることも可能ではあるそうですが、その場合は手に入れたものを失ったり手放すことが多いという。宝くじで大金を手に入れた人が手に入れる前より不幸になる例は、顕在意識と潜在意識の乖離が原因らしいですからね。でも本当の望みを知るきっかけになるんなら有り難い話。

 

全面降伏について。状態としては「特になにもしない」といった感じです。顕在意識であれこれ変えようと画策しない。あるがままに任せる。「こうなればいいな」とかもあまり考えない。そんなことを考えなくても本当の望みは潜在意識が知っています。「ない」は「ない状態」しか引き寄せない。よって無意味。

ただ、何も願わないからといって、修行僧の如く欲を捨てることとは全く違います。私は欲を捨てることに「幸せ」を感じられないので、それは神のご意思に背く行為である。現に欲そのものは以前より遥かに増えているのですが「願い」とはちょっと違う。達成するのが義務なのである。

『現在(いま)は過去の産物』過去の行動・記憶・思考、全てが今に繋がっている。なので現状が良くても悪くても、そう感情がブレることはない。どう足掻いても、過去のそれらをコントロールすることはできないのだから。私にできるのは「いま」という結果を見て、未来のためにそれらを調整または軌道修正するべく意識を整えることだけです。

欠けているという立場からする行動は常に非生産的だ。そして、常にまだ欠けているという気分につながる。

 時間は大切。