執着

最近の大きな買い物についてですが、1年前からそれが欲しくてたまらなかったわけではありません。最初は何となく「いつかは手に入れられたら」と思う程度でした。

現実的に考え始めたのは7月くらいのこと。「買うなら来年辺りに」と思いつつ調べていると、私の予算ではかなりグレードが落ちると判明しました。なので今回探して貰う際にはグレードを落としてお願いしていたのです。

そして見つけて貰ったのは提示額よりは少し高かったのですが、税金や諸々の経費を抜いた額を提示していたので総額にするとぴったり予算内に収まっていた上、私が最初に考えていたグレード以上の物でした。探してくれた方も”たまたま偶然”に見つけたようで、ちょっと興奮気味だった(笑)

私は以前、願いは諦めると叶う?という話を書いていますが、今回は諦めるというより、本気でグレードが落ちてもいいと思っていたのです。つまり何の執着もありませんでした。

あれからずっと「執着」について考えている。例えばトレードだと、のめり込んでいた時は株価が気になって頭から離れなかった。市場が休みで株価は動いてないのに株価のチェックをしてみたり掲示板に張り付いてみたりと、とにかくまさに”寝ても覚めても”状態でした。

なのにやっと買値まで戻りかけた頃には、待つことに疲れ切ってブン投げるという全く意味のないトレードを繰り返してきた。恋愛も仕事も然りですが、「思い通りにならないならいらない」という怒りが湧くからだと思う。

だって私はその間「一生懸命考えていた」のだから。そして考えただけの見返りがあってしかるべきだと信じ込んでいた。

対する大きな買い物は、1年以上ずっと頭の中にあったんじゃない。ぼんやりとあった願望が頭の中で形になり、受け入れ態勢が整った所でタイミング良くやってきたのです。

どうしても欲しくなったとは書いてますが、私の中では重要度が左程高くなかったので、たとえ数か月でも待てたと思う。もしも重要度が高ければ「今すぐに欲しい」という気持ちが先行して、私の提示したグレードのものが来ていてもおかしくはなかったのだから。

 

…これって考えても考えなくても一緒ってことですよね。むしろ考えない方がいいのかも知れない。私は願望そのものより思考の量と時間に執着していたんじゃないかと思い始めた。

トレードにしろ恋愛にしろ、執着している時はたいてい上手くいってない時です。そして考えれば考えるほど不安は増幅して焦りが出てくる。これは顕在意識で潜在意識をコントロールしようとしているだけで、潜在意識に「お任せ」なんて全くできていない。

不安は「今ない」という不足感からやってくる。手に入らなかったらどうしよう、もし最悪の結果になったらどうしようといった思考が現実になると言われていますが、だからこそ私は「願い続けること」をやめられなかったのです。願わなければ叶わないという強迫観念にとらわれていたんだ。